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終活?

「終活」という言葉が浸透している。
誰が考えたのか。
なぜ一般化したのか。
不思議に思っている。

たとえば、
私はもうずいぶん長い間自分からは出していないけれど、年賀状。
お仕事をご退職された方が、今年で年賀状はやめますとわざわざ書いていたりする。

また、
家を変える。というのも、そうかもしれない。
役職を降りるというのも、そうかもしれない。

生きるために広げていた手を下ろす。
身の回りを見つめる。

身の回りしか見つめられなくなったということなのだろうか。
もしくは、もっとポジティブに、誰かに活躍の場を与えるためとも考えられる。

だいたい、50代ぐらいの人からそれは始まるようだ。

私に関して言えば、自分を持て余していることが多く「もっとシンプルになりたい」と最初に思ったのが20歳ぐらいだった。
でも、その時はそこまでの自分を次の自分にシフトチェンジした、ということだったのかもしれないと今は思う。

気が多い性格で、好奇心も強い方なので、
一度気になったらどんどん突き進み、
モノも増えていく。
仕事関係のモノがどんどん増えた。

それを一気に減らしたのが30歳ぐらいと35歳ぐらいの時。
正確に言うと、私は20代で集めたモノを2段階で人に譲った。20代で集めたモノは学生の頃に勉強していたもの、学生が終わり仕事関係で勉強したものを譲り終えたのは35歳ぐらい。
自信がついたということなのかもしれない。

それからまた月日が流れ、病気をしたのもあり、自分の人生を見つめてみたら、
私はモノがほとんど要らなかった。

それで、過去に自分が持ってきたモノを別の人に譲ったように、
今もまた譲り始めている。
今度は、仕事関係ではなく、趣味で手にしてきたモノ。

これは、「終活」なのだろうか。
「終活」にしてはずいぶん早くね?と自分でも思う。
あまり寂しいという気持ちでなく、
手元からモノがなくなっていくのは、
楽になっていく感覚に近い。
それでも選んだりしているので、一気にバサっと手放すわけではないのだが、
それもいずれ手放すんだろうなと思いつつ…
(あと、人に譲るためには、それなりに「手間がかかる」というのもある。良いモノ、喜んでくださるモノをお渡ししたいし)
「断捨離」という言葉はあまり好きではない。
私は捨てているつもりはない。

部屋の中が今より簡素になった時、
自分がどんな気持ちになっているのか。
観察していきたい。

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