アートとデザイン Part. 1

※これは私個人の勝手な考察です。

面倒臭い話をしよう。

アートとデザイン。

それぞれの違いは何だろうか?

本音を言えばここにクリエイションやエンタテイメントみたいな世の中の人達がこれまたあやふやに使ってるものも突っ込みたいところだが今回はやめておこう。

ということでまずはアートとデザインについて。今回はアート作品とデザイン製品という「物理的」なことについて記述する。

アート作品と言われてまずは何を思い浮かぶだろうか。モネやミケランジェロに代表されるような絵画?考える人みたいな彫刻?色々なものが想像できるだろう。

ではデザイン製品と言われて何を想像するだろうか。これは人によって様々で正直アート作品よりも例を挙げるのに時間がかかる。


専門学生時代、ある先生が一つ教えてくれた。

「デザインはアートと違って使えるものでなければならない。」

つまりはこういうことになる。

人は水分を摂取しなければいけない。上手く水を飲む方法が必要だ。

→コップの誕生。


更に、


もうちょっと上手く飲みたいな。取手を付けたら握りやすくなるんじゃね?

→カップの誕生。


こうしてイギリスでは貴婦人方がまともに動けないようなドレスを着て日傘を片手にオシャレなアフターヌーンティーを楽しめるようになった。

(余談だが紅茶というのは中国人にとって発酵しすぎてマズいから味の分かんねー英国人に売っぱらっちまえっていうのが起源だとかなんとか。ちなみに私は烏龍茶が好きだ。)

つまりデザイン製品というのはそれを物理的な目的のために「使う」ものなのだ。


ではアート作品とは何であろう?その先生が言うことに従えば無論それは「使えないもの」だ。

例えばあなたは絵画を使って水を飲むだろうか?彫刻を使って釘を打つだろうか?他に手段が無ければもちろんそれも可能であろうが基本的にはNoだろう。

アート作品とは物理的には存在するだけで完結し、それ自体を使って何かをするものではない。

それを享受することによって感覚や感情を動かしたりするものである。

大前提として私はこれがアート作品とデザイン製品の大きな、そして絶対的な違いと定義する。そもそもの目的が全く異なるのだ。

「アートは問題提起でデザインは問題解決である。」という論説をどこかで聞いたことがあるが、上記のことを踏まえるとこれは非常に分かりやすい解説だ。先のカップの話を例にすれば、

「人は水分を摂取しなければならない」「もうちょっと上手く飲みたいな」というのが問題提起で、コップやそれに取手を付けるというのが問題解決になる。

アート作品とはそれを通して何かを「訴えかける」ものでデザイン製品はその訴えに対する「解決の手段」とでも言えようか。

ここまで考えて一つ思ったことがある。それはアートはある種、言語翻訳や通訳に似ているということだ。つまり、問題を「分からない言語」とすれば芸術家はそれを作品として「訳す」、ということだ。

「あれ?翻訳というのはある種の問題解決なんじゃないの?」

実にいい質問だ。

しかし物理的な解決ではないので今回の前提をすればこれは当てはまらない。この件に関しては次回にしよう。(ちょっと考える時間ちょーだい)


もう一つ。

私は今回、アート「作品」、デザイン「製品」とあえて呼称を分けて使った。これは単純に作品という言葉と違って製品という表記には「工業」や「大量生産」というイメージが結びつきやすいからだ。

ヴィンチ村のレオナルドさんの代表作である最後の晩餐は工業製品でもなければ大量生産もされてない世界に一つだけの存在だが、今私がビールを注いでいるグラスは某北欧メーカーの店に行けば在庫タップリだ。

更に言えば私はこのグラスにお金を出して買ったが、果たして最後の晩餐はいくら出せば買えるのだろうか?


ここまで読んで「いや何つまんねーことを小難しくこねくり回してんだよ。」と言いたい人もいるだろうが、私はこれで美味しくビールを頂いているのでご了承願いたい。あー美味し。


ちなみに私は自分の経歴を人に話すとよく「アーティストだねぇ。」とかなんとかネムたいことを言われ、その都度「いや、おれはデザイナーだから。」と返すのが習慣になっている。

なぜかと言うと、自慢ではないが私は元々何かを表現したりゼロから物事を構築することがあまり得意ではない。というかやり始めるととっちらかっちゃって全然できない。

「これが今回のターゲットだ」とデューク東郷よろしく何か目的を提示してもらい、そのための下調べをし武器を調達、上手いことヘッドショットを決め任務を遂行する方が楽なのだ。


正直、「だから何よ?」と言われるかもしれないが、それはそれで構わない。ただ物作りを主戦場にしてきた私にとって、自分が何をしているのかという自覚がなければ足が宙に浮いているようで不安で仕方ないのだ。でなければある日突然足元が崩れた時、二進も三進もいかなくなるだろう。

目的が違うと言ったが、芸術家とデザイナーに共通していることがあるとすればどちらも感受性と想像力が大事だということ。そしてそれに付随する知識と考えが無くてはならないだろう。でなければ出来上がったものは立派でも作った人間含めハリボテと言っても過言ではない。

感覚とか、センスとかそんな言葉はどうでも良い。己として大切なのはそれを言語化(芸術家は作品として)して説明できることなのではないだろうか。自問自答。

さて、世の中に数多いる自称アーティストや自称クリエイターの方々。あなたの作っているものは一体何かな?

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