見出し画像

感想レポ:『恥知らずのパープルヘイズ』

1.

ジョジョ5部アニメが面白すぎて小説も読むことにした。面白かった。5部はブチャラティがディアボロを裏切るシーンが有名だけど、あのシーンの各自の内面信条をかなりの解像度で描写してて素直に感心した。漫画を文章媒体を通してみる経験が今までなかったので表現媒体の違いでの作品の印象の違いとかを楽しめる作品だった。力ある作家に感謝。

2.

この作品のテーマは近代の権威的な家族から近現代の家族への移行に対して子供がどう立ち回るかみたいな話だと思っている。
ジョジョ5部はディアボロの指令をこなす前半とディアボロと戦う後半に大きく分かれていて、それはブチャラティの振舞いの違いとして作品に現れる。
前半のブチャラティはポルポへの信頼を厚く受ける強く威厳があり権威的な父親だった。しかし、物語の折り返すディアボロへの反逆のシーンでは、ブチャラティは子供たちであるチームに対して突如として主体的な従属を要請する。この行動は今までの彼では見られないような行動であり、例えばナランチャはいつものように命令をしてくれと頼みさえする。

ブチャラティのこの”主体的従属の要請”の欺瞞については次のジジェクの動画とかが分かりやすい。

3.

この初見殺しのような従属要請に対して自己を保ちつつ道徳的決着をつけるヒントは二つ提示されてて、一つは”自分の行動理由はブチャラティとは違うけど、結果的に行動は同じになった”とするナランチャパターン。
もう一つは”俺(子)がブチャラティ(親)から離れたのではなくてブチャラティ(親)がジョルノ(社会)の方へ行ってしまった"とする恥知らずなフーゴパターン。父親に寄り添ってきたフーゴは物語のラストでは社会に寄り添う。

後半になって社会の枠組みが鮮明になる  

それなのに彼は、こんなにも簡単なことさえ、それまで知らなかったのだ。
誰かに憧れて、その人に未来を、夢を託したいという気持ちを。

4.

サブカルに対して”ポストモダンが~”みたいな論調で語ることってあまり好きではないけど、ジョジョをこんな感じで読めるのは小説っていう表現媒体の独特の魅力だな~~って思いながら書いた。
ジョジョは6部アニメもかなり面白い。3クール目も楽しみだ。


まとまりがつかないので最後に回したが、フーゴの突発的ヒステリーは読んでる最中ASDのフラッシュバックみたいだな~って思ってスタンドの特徴とかと合わる形で文章にしようかと考えたけどあとがきを見る限りそういうような感じでもないっぽい?書かなくてもいいかもだけど一応備忘録として残しておく。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?