言葉の海について

僕の言葉が僕の脳みその真ん中にある。僕はそれを外に出そうと大きく息を吸う。でもその拍子に僕は後ろに仰け反ってしまう。わずかな言葉だけが外に出る。そして僕と僕の言葉はそのまま溶けてゆく。広い広い言葉の海に。

言葉と言葉の境界は曖昧で、僕の「きみがすき」という言葉は、明日になったら「きみがきらい」になっているかもしれない。だから今すぐ、僕の言葉がほかの言葉とぐちゃぐちゃになる前に、僕の言葉を外に出さなくちゃ。焦る。背中を冷たい汗が流れる。でも脆弱な僕は息を吸うことすら困難で、僕の言葉の殆どは結局、言葉の海で言葉の海になっていってしまう。涙がこぼれる。でも、涙がこぼれるから僕が悲しいか否かはよくわからない。ただ、涙がこぼれる。

明日になっても僕は僕の言葉を外に出せないと思う。明日になっても冷たい汗は流れてゆくし、涙はこぼれてゆくのだと思う。そして、僕の言葉は言葉の海に絶えず溶けていく。言葉の海から僕の言葉を掬い上げようとあがいても、手のひらにあるそれはもうあの時の僕の言葉なんかじゃない。模倣品だ。また、涙がこぼれる。

でも僕は言葉の海を嫌いになれない。僕の溶けていく言葉の海はきみの溶けていく言葉の海でもあるから。僕の言葉にきみの言葉が流れ、きみの言葉に僕の言葉が流れる。きみのお母さんの言葉も、きみの友達の八木さんの言葉も、きみの高校時代の恋人の言葉も、僕の言葉に流れてくる。僕はそれを拒めない。見えないところで、きみの言葉は流れてくるから。

僕は少しずつ、息を吸う。仰け反らないように、慎重に。きみにだけは、僕の言葉をちゃんと渡したいって思う。ゆっくりでいいよ、ってきみは言ってくれる。そんなきみが、たまらなくすきだ。

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