思い出のスリーポイントシュートの日
僕は高校時代バスケ部に入っていた。
新潟県内でも有名な監督がいて、部員は30人くらいでそこそこ強かったチームだ。
そして僕が高校二年生の時、一個上の先輩で澤井さんという人がいた。
坊主頭で優しさの塊みたいな人だ。
澤井さんは下手だった。
一個上の代で1.2位を争う下手さ。
ただ、努力家だった。
澤井さんは家が遠かったため始発で高校に来て朝練して、部活が終わった後も体育館が閉まるギリギリの時間まで練習していた。
その甲斐あってメキメキ成長し、いつからかチームに欠かせないプレイヤーになりチーム内の人望も厚かった。
しかしある日の練習中、澤井さんが転倒した。
ものすごく痛そうにしていて、1人では立ち上がれないくらいだったのでコーチに連れられて病院に行った。
アキレス腱を断裂していた。
3日後、松葉杖をついて体育館に来た澤井さん。
みんなが心配する中サッパリした顔で
「すぐ治して復帰するから!」
と言って練習に参加できない代わりにマネージャーの仕事をしていた。
そこからはマネージャーの仕事をしながらリハビリをして三ヶ月後くらいから練習に復帰、徐々に元の澤井さんに戻っていった。
ある日、市内の高校との練習試合があった。
試合の中盤、監督から
「澤井!いくぞ!」
と声があった。
数ヶ月振りの復帰戦、チーム全員が澤井さんに注目した。
みんなの注目を浴びながら試合に出場した澤井さんはまた転倒した。
復帰戦で再びアキレス腱を断裂した。
後から聞いた話だが、2回目のアキレス腱断裂で心が折れて泣きながら監督に
「バスケ部辞めます。」
と伝えたが、監督に
「あと3ヶ月で引退だから最後までやりきれ。」
と言って止められたらしい。
3日後、松葉杖をついた澤井さんが体育館に来てみんなの前で言った。
「今日から引退までマネージャーとしてチームを支えます。よろしくお願いします。」
多分めちゃくちゃ悔しかったと思う。
バスケが好きで試合に出るために必死に練習していたのが全て水の泡になってしまったから。
その後は松葉杖をつきながらマネージャーの仕事をしたり、後輩にアドバイスしたり、澤井さんはチームを良くするために頑張っていた。
時が経って最後の大会の一ヶ月前、松葉杖のとれた澤井さんはマネージャーの仕事の合間に足を引きずりながらシュート練習をするようになった。
「足を引きずってまで何でシュート練習してるんだろう」
とみんな疑問に思っていたが誰も言わなかった。
マネージャーになると決断したけどまだ悔いがあったのだと思う。
そして迎えた最後の大会、マネージャーの澤井さんは最後だからという事でユニフォームを着てベンチに入っていた。
チームは勝ち進んでいったが、足を引きずっている澤井さんは試合に出ることは無かった。
そして県でベスト8を決める試合。
相手が県内有数の強い高校だったため、試合時間残り5分でチームは大差で負けていてもう勝ち目がない状態だった。
三年生、そして澤井さんが引退する瞬間はすぐそこまで来ていた。
その時監督が言った。
「澤井!いくぞ!」
チーム全員が
「え???」
ってなった。
続けて監督が
「走るな!ディフェンスもしなくていい!パスもらったら3ポイント打て!練習してただろ!」
と言った。
監督は澤井さんが足を引きずりながらシュート練習をしていたのをずっと見ていたんだ。
試合に出た澤井さんは虎視眈々とシュートのチャンスを狙っていた。
しかしほとんど走れないためなかなかチャンスは巡って来なかった。
どんどん時間が過ぎていく。
そんな中試合終了間際、澤井さんにフリーでボールが渡った。
「澤井!!!打てー!!!」
という監督の声と共に澤井さんは3ポイントシュートを放った。
澤井さんのシュートは綺麗な弧を描いてリングに吸い込まれた。
もうチーム全体がお祭り騒ぎ。
監督は号泣していた。
一度は復帰出来ないと思われバスケ部を辞めるところまでいった澤井さんが最後の試合で練習通りの綺麗なシュートを決めた。
チームは敗れたが試合後のみんなの顔はスッキリしていた。
チーム1努力家で、チーム1不運だった男が最後の最後で結果を出したから。
そしてひとつだけ思う。
最後の試合で3ポイントシュートを決めると同時に3回目のアキレス腱断裂をしていたら、澤井さんは最強のエピソードトークを手に入れていただろう。
〜fin〜
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