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いつまでも未熟なわたくしたち

人は誰もが未熟児として生まれてくるらしい。

こんなこと言っている私は、母のお腹の中がよほど心地良かったのか、予定日を過ぎても出てこず、やっと出てきたと思ったら3600グラムもあるビッグベイビーだった。

それでも、私ももれなく未熟だった。

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ある動物学者が「人間は早産で生まれてくる」と言う仮説を立てた。あくまでも仮説。

10月10日もお腹の中にいておいてもなお、1年以上の早産だと彼は言った。人間は脳が大きくなりすぎて、母体の骨盤から出てくることができず、やむを得ず出てくるのだと。

だから、人間は皆、生まれながらにして未熟らしい。

たしかに、鹿とか牛とか馬とかを想像すると、生まれて間もなく自ら立とうとする光景が思い浮かぶ。

猫や犬だって目が見えないながらも自分でずり這いをしながら母親を探したり、ミルクを飲んだりする。

立とうとするでもなく、お乳を探すわけでもなく、ただただ泣きじゃくるのは、たしかに人間くらいかもしれない。

寝返りやハイハイすら出来ず、立って歩くには1年以上かかるわけだから、他の動物に比べて圧倒的未熟状態で生まれてくるという部分は理解ができる。

そしてポルトマンは、「生理的に未熟な子供を、親だけでなく親戚や近所の人・買い物先で出会う人、それら全ての社会が育てて人間にする」と言った。

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約10ヶ月もお腹の中で育つのに、未熟なんて…と思ったけど、わたしの大好きなシャチの妊娠期間は17ヶ月と約1年半もお腹の中にいることになる。

調べてみるとゾウは約20ヶ月と、2年弱もお腹の中にいるらしい。

ゴリラは約8ヶ月と、さすが近縁種だけあって人間と近いけど、それらの動物を思い浮かべ、こんなにも子供と大人との区別がハッキリしているのは人間くらいだ。

例えば、私は猫を飼っているが、生まれたての時は本当に小さかったのに8ヶ月もすれば生猫と同じサイズになり、1歳のころからは体重もサイズもほぼ変わっていない。

めだかの学校だって「誰が生徒か先生か」と言われるほど、大人も子どもかわからんサイズなのだ。

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人間は、少なくとも私は未熟に生まれたけれど、子ども時代にちゃんと子どもとして育ててもらえて、野放しにされるわけでもなく、丁寧に育ててもらえたわけだ。

しかし、子どもの頃は、自分が立派に人間だと思い込んでいた。大人だとは言わないまでも、自分で自分のことができるし、いざとなったら何でもできるんじゃないかと勘違いをしていた。

まぁ何とかはなったかもしれないけど、それは社会が支えてくれることが前提だ。

そんなことも知らず、1人で生きていけるんじゃないかと思ったこともあった。

だけど、今は1人じゃ到底生きていけない気がしている。いい大人で、仕事もしていて、今でも十分1人で生きているような形に見えるが、やはり社会があってこそ。

ポルトマンが言った「人は社会に育てられる」という言葉は納得ができる。

私たちは今も社会に育てられていて、今も未熟なのではないだろうか。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。