半透明のデンプンに頼ることなかれ
今日は決戦の日だ。
何をそんなに意気込んでいるのかと思われるかもしれないが、今日は職場の上司に言いたいことを言おうと思っているので、私にとっては覚悟と気合が必要な日なのである。
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言いたいことを言うというのは、他の人はどうか知らないけど、私にとってはとても勇気のいる行動である。
「言いたいことは言え」と父に何度言われても、言えなかったことがたくさんある。
もちろん気のおけない友人や、信頼している人には言えることでも、立場や考え方が違う人に自分の思いを伝えることは難しく、その後の反応も怖い。
また、人はそれぞれ違うのだから、自分の考え方を押し付けるようなことはなるべくしたくない。
今回は、自分より立場が上である上司に物申そうとしているのだから、不安もひとしおである。
自分を評価する立場の人に言いたいことを言うということは、会社員にとっては本来避けたいことである。
自分の評価が下がるかもしれない。
上司だって人間なのだから、あからさまに下げることはなくても「自分に対して文句を言う部下」への偏見があってもおかしくない。
もちろん、ちゃんと意見として捉えてくれる上司も、世の中にはたくさんいるだろうけど、残念なことにそういう上司には、部下も文句は出ないものだ。
とにかく、決戦に備え何を言おうかを考えていたけれど、「あれとこれと…」と考えていると、漏れなく言うことに集中してしまい、私自身も建設的な話もできなくなりそうだ。
だから、内容はざっくりと頭に入れるだけにして、「人格を否定しない」「人として変えられないことは言わない」「意見があるなら解決策もセットにして言う」というスタンスだけは守ろうと思った。
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相手に配慮し、刺激的・直接的な表現を避けるという意味の「オブラートに包む」という言葉がある。
私は薬をオブラートに包んで飲んだことはなく、1番慣れ親しんでいたのは、大好きなボンタンアメである。
ただ、ボンタンアメは食べやすくするためではなく、箱の中でアメ同士がくっつかないためなんだけど、あのオブラートがなかったらボンタンアメが大好きとはなっていなかっただろうなと思う。
あの薄いデンプン質に包まれていてこそ、あの美味しさなんだろうと。
久しぶりに食べたいなぁ…
話を戻す。
オブラートに包むというのは、薬と同様に相手に受け入れてもらうための方法だ。
しかし、受け入れやすく、飲み込みやすい言葉というのは、逆に言えば何も響かない無味無臭無害なものに変えてしまうということだ。
今回ばかりは、それじゃ困る。
相談に乗ってもらっていた別の上司に、こんなことを言われた。
「伝える内容や言葉選びなど、色々と考えていると思うけど、考え過ぎると真意が伝わらないこともある。
感情を理性で伝えるのではなく、感情は感情として伝える時があっても良いのではないかと思う。」
と。
オブラートは剥がして、伝えるべきことをよくよく考えて話そう。
出陣のお守りはボンタンアメにしようと思います。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。