見出し画像

人生は意外となんとかなるから

ご飯を炊くのに失敗した。

一人暮らしも15年目、炊飯器でスイッチを押すだけの炊飯はベテランのはずだが、ことごとく失敗。

昨夜、タイマーをかけて寝たのだが、寝ぼけていて水量もしくは米の量を間違えたのかもしれない。

朝炊飯ジャーの蓋を開け、しゃもじで混ぜた瞬間に分かった。

明らかにゆるい。

よく見ると、一粒一粒がふっくら…というより水を含んでひと回りふくよかになっているお米たち。

私はもち麦を一緒に炊いているのだが、通常平べったい楕円形のもち麦に関しては、ほぼ円形のまん丸状態で私を見ている。

なんとかお米の形は留めているが、食べてみるとビックリするくらいゆるゆる。

本当は焼きおにぎりをお弁当のために作る予定だったが、これじゃあ焼きおにぎりどころか、おにぎりの形に留めておくのは不可能なほど。

仕方がないので、少しだけ薄力粉を足し、しゃもじでお米たちを潰すように混ぜた。

頑張ればチャーハンにできるか…とも思ったが、無理やり米の形を止めるのではなく、いっそ米の形をなくしてしまおうと思ったからだ。

そうして、すりつぶされた米ともち麦は、ネギ味噌を塗られ、焼かれ、五平餅風の団子になった。

焼きおにぎりが食べたくて、ネギ味噌を作ってあったし、もう口が焦げたネギ味噌を求めていたので、なんの迷いもなかった。

ゴルフボールサイズほどのご飯が余ったので、味見を兼ねて朝ごはんに試食してみた。これがとんでもなく美味しかった。

・・・

変わらないものに、愛おしく心惹かれることがある。

変わっていくものを、軽視し、見下していることもある。

そして、「こうでなければならない」というつまらないこだわりが、生きにくくする世界である。

正直なことを言うと、どうしても焼きおにぎりが食べたかった私は一瞬、失敗してぷっくりふにゃふにゃなお米たちをを捨てて、炊き直すことを考えた。

形を変えるなんてことの想像ができなかったし、どうしても焼きおにぎりが食べたい(しつこい)と思ってたのだから、それを叶えるための方法は炊き直すしかないと。

だが持ち前の「もったいない精神」が発動し、その考えにストップがかかった。そして苦肉の策として作った五平餅もどきは、ちゃんと美味しかった。

・・・

「こうじゃなきゃ」「ああしなきゃ」

そういう考えは、往々にしてちょっとしたことでひっくり返る。

だから、形が崩れそうなら無理せず潰してしまえばいい。それが意外と美味しいものになる。

人生は意外となんとかなるものだ。
だから、生きているだけで一等賞なの。

そういう経験が伝染すれば、朝から悲しく重たいニュースを目にすることも、ちょっとは少なくなるだろうか。

そんなことを考えつつ、赤い公園の「NOW ON AIR」聴きながらの出勤。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。