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踏み絵としての「慣れ」

物持ちは良い方だと思う。
現在使っている電子レンジが1988年製の31歳と言えば、信じてもらえるだろうか。

ローテーブルは、一人暮らしを始めたその日に買ったものなので、この4月で16年目のお付き合い。

冷蔵庫・テレビ台・電気ストーブ・ベッド・ソファは大学を卒業したと同時に購入したので12年目になる。

飽きたから、他にいいものがあるから買い換えるという感覚はあまりない。汚れや劣化から考えれば電子レンジ・ベッド・ソファは買い換えた方がいいのかもしれないけれど、でも使えるのに買い換える気持ちにならないというのが正直なところ。

しかし、今年に入って2つの家電製品が壊れた。

1つは今年の初めにコーヒーメーカー、そして昨日、電気ストーブが。

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コーヒーメーカーに関しては5年ほど使っていたし、最近の家電ほど寿命は短い感があるので、仕方がないと思える。家にいる日は毎日1回以上使用していたし、同じ型のコーヒーメーカーが前の職場で1.2年で壊れたことも考えれば、やむを得ないと思った。

また、正直無くても生活に困ることはない。コーヒーメーカーがなくなってからは、自分でドリップをして淹れているのだが、コーヒーを飲む頻度は減ったものの、これはこれでも良い気がしている。

問題は電気ストーブ。

私の部屋はロフトなので、エアコンで暖房をかけていても、暖かい空気はすべて上へと逃げてしまう。基本的に生活するのは下の部屋なので、暖房から何の恩恵も感じないのは困るのだが、電気ストーブで寒さをしのいできた。

4月とはいえ、まだ寒い。
この時期に電気ストーブを失うことは、ダメージが大きい。しかし、もう少し待てば暖かい季節がくる。たった数週間の辛抱なので、ここは我慢するつもりだ。

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幸か不幸か、人間の「慣れ」の力は凄まじい。現に、今般の世界の状況にすら、私はもう既に慣れ始めている気がする。

ありきたりな結論を言うなら「慣れって怖い」「慣れは感性を削ぐ」「慣れ=鈍感」となると思うが、時として慣れの力を利用することも一つの手なのではないかな、と思っている。

今回の場合、私にとってコーヒーメーカーは、もともと必要ではなかったのかもしれない。だって、コーヒーメーカーの無い生活に慣れることができたんだから。

つまり、慣れというのは一種の踏み絵としての意味を持っているのではないかと思う。そこを通過すれば、本当に求めているものか否かを判断できるのではないだろうか。

そりゃ半年・一年続ければなんだって慣れるかもしれない。しかし、コーヒーメーカーの例で言うなら、私は1ヶ月でコーヒーメーカーの無い生活に慣れ、むしろドリップ生活を楽しみ始めた。

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リアルな話で言うと、初めてのテレワークから1ヶ月が経ち、この生活スタイルにも慣れを感じ始めている。

しかし、慣れてはいるが不便さはある。

同僚・上司へのコンタクトという対人的なこともそうだし、私の部屋にはテーブルとイスがないので、床に座り、16年来の仲になったローテーブルと共に8時間仕事をするという環境にも慣れることができない。

失って1ヶ月経っても慣れないものもある。
会いたい人には会いたいし。

最近、何に慣れたか。
それは本当に必要なものだったか。

今日は、そんなことを考えてみようかと。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。