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距離に甘えてはいけません

東京に町田というところに住んでいた。

この町田というところは東京都町田市なので間違いなく東京である。

にもかかわらず、町田駅から徒歩10秒で神奈川県相模原市に行けてしまうことや、町田駅のある小田急線でも横浜線でも神奈川と神奈川に挟まれた場所に町田があること、遊びに来るほとんどの人が神奈川県民であることから、都民からは「町田は神奈川だ」と揶揄されることがある。

おそらく、このようなことは町田だけでなく、県境にある地域にはよくある話かもしれない。

自県民からはよそ者扱い、もちろん他県にもなることができずに、宙ぶらりんの立場を続けざるを得ないというようなことは、実生活の中でも思い当たることが誰しもあるのではないだろうか。

私が以前働いていた専門学校では、講師見習い兼教務事務を担当していたことがあったのだが、教員室に自分のデスクがあるものの、教員からは「事務の子」と扱われ、事務の人々からは「講師の先生」と距離を置かれていたことを思い出した。

その時は持ち前の八方美人力を最大限に発揮し、1年かけてどちらにも居場所を作ることに成功したが、やはり宙ぶらりんの時期はそれなりに辛かった気がする。

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レンタカーというのは、繁忙期中に店舗の車が不足した場合、同エリアや同都道府県のなかで不足の補完するという話を聞いたことがある。

おそらくこれが本当だとすると、町田はおろか、東京中のレンタカーが既に予約がいっぱいで車が借りられなくなったとしても、道路を挟んだ向かい側にある神奈川県の店舗にはレンタルできる車がある、という状況を作る。

まぁそれに気付ければ近くの神奈川県で借りればいい話だ。

でも、徒歩10秒の距離にもかかわらず世界が違うかのように、明確な線引きがされているというところに、距離には勝てない見えない境界線の存在を見せつけられている気持ちになる。

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どんなに近くにいても、見えない境界線によって隔てられているものというのは、人間関係においても同様である。

毎日同じ職場にいても気が合わない人とはどこまで行っても壁はあるし、毎日同じ布団で寝ていても背中を向けて顔も合わせぬ関係は、距離以上に離ればなれな気がして寂しい。

反対に、近くにいるからといって安心していると、いつのまにか心の距離は離れていって、見えない壁を自らが構築しているということは、男女間のトラブルBest3に入る問題だろう。

家族や友人にも似たようなことはあるはず。

物理的距離に甘えてはいけません。
安心しきっていると、いつか見えない境界線に阻まれて、離れていってしまいますよ。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。