ただ、なんとなくそれっぽいもの
100円均一へよく行く。
頻繁に買うのはウエットティッシュとか猫のトイレ掃除のためのビニール手袋とか保存用タッパーとかの消耗品が多いけれど、最近はお弁当箱やメモ帳など、かわいいと思って買い、長く使っているものもある。
ちょっと前…少なくとも15〜20年くらい前までの100円均一は、簡素で無機質で原色のオンパレードでダサさもあって、必要最低限の役割を果たすものであり、耐久性も低いイメージだったけど、今ではデザイン性のある小物や生活雑貨なんかもある。
ちょっとした植木鉢なんかもとてもおしゃれで、これが100円なのかと驚くものも多い。
巷で流行ったものは、すぐに似たようなものが100円均一で買えてしまうのだ。
例えば、私の大好きな某日用品店(四文字熟語のような名前とエンジ色のロゴが目印)で少し前に流行った歯ブラシスタンドがある。
かわいい見た目と、歯ブラシだけに用途は限らず文具やキッチングッズにも使えるとして、一時期ちょっと話題になっていた。店舗の一部では品薄状態になるほど売れた。
しかし、少しするとほぼ似たようなものが100円均一で売られていた。
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今は100円均一や個人販売ができるようになったので、安価で簡単におしゃれで凝ったデザインのものにも出会える機会が多くなった。
そして、バッタもんでも別にいいという感覚は誰にでもあると思う。なんとなくそれっぽかったらそれでいいし、単純な機能だけを求めていれば自ずと、それでもいいと思ってしまうのだ。
私が小中学生の頃は、ルーズソックス全盛期だったのだが、この頃から対抗馬として目立っていたのが「紺のラルフ」だった。
紺のラルフとは、ラルフローレンの紺色のハイソックスのことである。ふくらはぎの横にワンポイント、刺繍でラルフローレンのロゴマークである馬に乗った騎士のようなPOLOのワンポイントがついていた。
私は、無駄に生地をたっぷり使ったルーズソックスに憧れはありつつ、実際に履くなら紺のラルフと決めていた。
だが、高校生までにはまだ時間がある。
よって小学生の私は、紺のラルフに対する憧れのあまり、刺繍で小さなポイントのある紺色のハイソックスばかり好んで履くようになった。
本物よりも安く、手に入りやすかった。
ROLOのマークによく似たソックスを見つけるのも上手になっていた。
しかし、簡単に手に入るということは、簡単に手放せるということである。
悲しきかな、本物の紺のラルフを手に入れた瞬間に、紺のラルフもどきの出番は無くなった。
一度本物に触れてしまったら、もうバッタモンには戻れず、むしろ履くことが恥ずかしくもなりさっさと捨ててしまった。
それ自体に愛着はなく、所詮は代用品。
それっぽいものを求めている時にはうってつけだが、ゴミとなって溢れ返るものでもある。
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大前提として、私はnoteが好きだし、ありがたいし、当分はこうやって毎日投稿を続けていくことになるだろう。
他人のnoteを見ることも楽しい。
だけど、誤解を恐れずにいえば、誰でもクリエイターになれることは、それっぽい形で売られる100円均一みたいなものではないかと時々怖くなる。
なんとなくエッセイ風のものを毎日書いて、時々創作したものを載せたりして、クリエイターになったつもりでいて、実は「ただそれっぽい」だけで、時代が経てば溢れかえるゴミのひとつになってしまうのではないかと怖くなるのだ。
まだ何者でもないことが強みのはずなのに、すでに何にもなれないと言われている気がしてしまうのは、意識だけの問題なのだろうか。
こんなにお世話になっているnoteに、こんなことをいうとバチが当たりそうだけど、なんとなくそんなことを思った朝でした。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。