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「代償」という折り合いのつけ方

飼い猫の寝顔を横目に、パソコンへ向かう。

窓から入ってくる風は、さっき干した洗濯物の匂いがする。風はお気に入りの香りと一緒に部屋の中を漂い、頬に触れた。

まだ少し肌寒いけれど、どこからか聞こえる鳥たちの可愛いBGMが、心を落ち着かせてくれる。

そんな夢のような仕事環境が、不自由と引き換えにやってきた。

何かを得るには必ず代償がつきものである。そんな当たり前のことを、痛感する毎日だ。

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3週間後に手術・入院を予定していたのだが、延期となった。もちろん理由は、今世界中に猛威を振るっている奴のせいである。今すぐ命に関わる手術以外は、6月以降にするようにという方針とのこと。

私の病気は、今すぐ命にかかわるものでもない。差し当たり、痛みを伴うものでもない。しかし、今年の初めに病気が見つかり、手術に関しては「早ければ早いほうがいい」というのがキーワードとなっていた。

命には関わりこそないが、遅くなれば急な激痛を伴うこともあるし、今後の人生に影響が及ぶとも限らない。貴方の命には問題ないが、のちの命を生むことができない可能性がある。

年明けに病気を発見してから、そうんな風に半ば脅されて急いで準備をしてきた。しかし、不安を伝えると、実はそんなに慌てるほどのことでもないと言われて拍子抜けした。また、私だけでなく他の患者さんも同様に手術の延期を伝えると興奮してなんとかならないかと訴える方も多いらしく、先生も疲弊していると看護婦さんが話していた。

色々と思うことはあるが、仕方ないと受け止めるべきなのだろう。痛いことや、体を傷つけることが大嫌いで、ピアスすら開けたことがない私が手術に挑むための心の準備期間をいただいたと考えることにする。

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命の代償は何だろうか。

今年に入ってからそんなことを考えてみたが、私には手に負えない課題なので、「何か」ということをここで語るつもりはない。

しかし、これまでの人生で辛いことや悲しいことがあったとき、「代償」と考えると、妙に腑に落ちたのは事実である。

よく悩み相談なんかをで「神様が与えた試練」とか「きっとこれからはいいことが…」というような励ましの言葉を聞くが、とても嘘っぽくて私には受け入れることができない。

しかし、すでに私が手に入れてきたものの「代償」と考えると納得できる。物を得るには金品や労力が必要なのと同様に、これまで得られた様々なものの償いとして。

もちろん、これはあくまでも私なりの解決方法なので、人それぞれに違うと思うが、悩みに対する自分なりの折り合いのつけ方を知っておくのは重要なことだと思います。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。