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「してあげる」をやめたいのです
人のためになることが好きだ。
それは残念ながら、博愛的に顔も名前も知らない人への奉仕の気持ちというわけではない。
むしろ自分の大切な人や知り合いが喜ぶ顔を思い浮かべて、そこに一言形だけでも感謝や労いの言葉があれば尚のこと嬉しい…という下心と見返り丸出しのものだ。
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おそらくこの気質の元は、幼少期にある。
何をしても褒められる生粋の末っ子として育てられたせいで、褒められることを無意識のうちに求めてしまっている。
親や姉兄に「嬉しい」「助かった」「ありがとう」「えらいな」と言われることが多かったからかな、と。
だから、私の人のためにすることとは「人のために」を口実にした「自分のため」なのかもしれないな、と思った。
それ自体に自分への得はなくとも、他人のためになるなら、ちょっとくらいの無理ならしたいと思えるようになった。
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そんなことを繰り返していると、「他人のためにちょっと頑張る」ことを楽しむ術を身につけた。
一点の曇りもなく、純粋に他人のために…というわけではなく、自らが楽しいと思うことややりたいと思うことに取り組んだ先に、付加価値として相手の笑顔が見られるような。
他人のためなんかではなく自分のため…となっていた私がまた一転し、楽しむことが「他人のためにになる」ということを知った。
何故なら、何かを与えられたり施される過程で、相手が無理をしていたり心を犠牲にしていると思うと、何を与えられても施されても嬉しくはない。
「自分のために無理をさせてしまった」
そう思わせた時点で、何をされても貰っても「感謝」や「喜び」ではなく、「罪悪感」や「申し訳なさ」が先行してしまう。
とにかく楽しみましょ。
相手のために楽しさを見つけましょ。
「してあげる」よりも「してあげたい」と思えるくらいに。
さすれば、皆が笑顔になるのではないかと。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。