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怖がりさんの一考察

引越しの多い幼少期だった。

まるで宿借りのように様々な家を転々とし、最長4年・最短1年程度での引越しを繰り返した。

父の仕事の都合だが、別にサーカス団ではない。一般的なサラリーマンである。

社宅からマンション・一軒家まで、本当に様々な家に住んだが、1番印象に残っているのはある一軒家だ。

・・・

その家はお医者様のお家で、海外へ行くことになったから借家として貸家に出していたらしい。父は持ち家も持っていたのだが、その家よりもうんと広く、古いけれど素敵な家だった。

金木犀で覆われた広い庭、風呂場に面した中庭、すべての部屋に内線電話がついていたり、洋風な室内に対して庭には小さな枯山水やししおどし等があったり…小学生の私にはとんでもない豪邸だった。

いや、今振り返っても豪邸だな。

そんな素敵な家でも、ひとつだけ怖い場所があった。

半螺旋階段の中盤に踊り場があり、そこには鍵のかけられた部屋があった。鍵は家主が持っており、中には家主の家具や荷物が入っていると聞かされていた。

小学4年生。金田一少年を兄の背中越しに見ていた怖がりの私にとって、そんな場所ほど恐ろしいものはなかった。

母は、私がその「開かずの扉」を怖がりすぎるのでなぜ怖いのかを聞いたところ、「もしかして、殺人事件が起きて中には死体が…」「妖怪やお化けが閉じ込められているんじゃ…」と言っていたらしい。

ドラマやアニメの影響だろう。
私自身はそんな言い訳を言った記憶ないが、とりあえず怖かったことだけは覚えている。

もちろん今考えても怖いのだけど、理由はよく分からない。

なんとなく。ただ怖い。

これこそが「怖がり」の正体ではないかとおもった。漠然と、理由もなく、ただただ怖いというのが本当の理由なのではないかと。

・・・

私は家族公認の怖がりで、自分でもそれを認めている。

そんな私なりに考えた「怖がり」の弱点は、思考力の低さである。

自分を思考力が低いと公言するのは、多少悲しいけれど、考えれば考えるほど、その結論に至る。

怖いものに対する「なぜ怖いのか」という正しい理由を説明することができない。

だから、その理由に対する対処法にも思考を巡らすことができないのでは…と思うのだ。

例えば、小さい頃はシャンプーをしている時に目を瞑るのが怖いかった。目を開けたときにお化けや妖怪がいたらどうしようと思っていたからだ。

ただ、そもそもお化けや妖怪を見たことがあるわけでも、霊感が強いわけでも、周囲にそんな体験をした人がいるわけでもない。

また、そんなものがいるという説明も、いないという証明もどちらもできないのに、そんなものに怯えているのだ。

そう考えてみると…アホくさい。

怖いと思うものを、無理やりにでも理詰めで考えてみると、案外その恐怖は薄れていくものだと思うのです。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。