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ネジ締めは逆回しが肝

祖父がまだ生きていた頃のこと。

夏休みやお正月に帰省すると、祖父は工作をさせてくれた。初めて釘と金づちを持ったのは、幼稚園生の頃だった。

興味を持ったのは、祖父が金づちの柄の部分にマジックペンで「かなづち」と書いてあったからだ。見りゃ分かるのに。それが不思議だっただけだ。

しかし、祖父は私の興味を知ってか知らずか、大工仕事をする時には、姉・兄ではなく私を呼び出し、一緒に手伝いをさせてくれた。

今考えると、工作や手芸にハマり、物を作ることが楽しいと思えたのは祖父のおかげで、きっとこの頃に芽生えていたのだと思う。

ある時、ネジをうまく締めることができずに苦戦していると、祖父は見本を見せると言ってそのネジを逆回しし始めた。

「あれ?爺ちゃん、ネジは右回しやろ?"の"の字に回す言ってたんは爺ちゃんやん。」

私が不思議そうに聞くと、祖父は「上手く回すためには、まず逆回しをするんや。均等に力を入れて逆回しをすると、ちゃんと噛み合うからな。こんなん全ての基本やで。」と。

ここで初めて、ネジ締めでも何かの蓋を閉める時にも、なかなかうまく閉まらない時には、正しく噛み合わせるために、まず逆回しをするとうまくいくことを知った。

それ以来、どんな時にもまず逆回しをしてから締めるということが癖になった。

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あの頃、祖父の言った「全ての基本」の"全て"とは、ネジや蓋・回転させる溝があるものの全てを指すと思っていた。

しかし最近は、文字通り"全て"のことに対しての基本なのではないかと思うようになった。

物事は全て表裏一体の関係にあり、何かをよく知るためには良い部分だけでなく、悪い部分を認識する必要がある。

毒は薬になり得るのと同じだ。

現在、薬として扱われているものの中には、発見時は毒だったものも多いという話を聞いたことがある。

毒か薬かを決めるのは、使い方や使う人による。どんなものも、毒とするか薬とするかは、我々の用い方次第で、不利益なものは一転して有益なものへと変えることができるのだ。

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例えば、私はとてもネガティヴで自信がない方だが、その割には幸福度が高い。自分が不幸だなんて思ったこともない。その理由はネガティヴが故に、他人に理想を求めることもしていないからだと感じている。

他人に対して不平不満をいう人は、そもそも他人に対しての理想が高く、皆が自分を理解してくれるものだと勘違いしている。

しかし、誰もが自分を理解してくれるだなんて夢物語である。

そうやって、一度逆転させて考えると、世界はうまく回るのではないかと。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。