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noteで人は変わる。変われる。

大学生の頃。

体育学部の友人から、「人間の体の構造上、顎と肘はどう頑張っても絶対にくっつかない」という話を聞いた。

ホンマかいなと思いつつやってみると、確かにくっつけることはできなかった。空いている方の手で無理やりつけようと思っても、どうしてもダメだ。

その日の部活終わり、ミーティング中に副キャプテンという立場を利用し、真面目な顔で部員全員約50人にやらせてみたけど、誰一人顎と肘をくっつけられた人はいなかった。

これはいいことを聞いたと思った。

私は大学で文芸創作学科という学科にいて、毎日のように文章を書く課題が与えられていた。

その時はちょうど掌編小説でも詩でもエッセイでもコラムでも構わないから、とにかく与えられたお題で400〜800文字の文章を書くという課題が出される授業を取っていた。

いつも「モナリザ」「夢」「タコ」など、ジャンルを問わないお題が与えられていたのだが、ちょうどその時与えられたお題が「他人」だった。

そこで私は、エッセイを選択し、顎と肘がくっつかないことを書き、結びに「自分の体のこんなに近くにある部位すら届かないのに、他人の心に近付くことなど難しくて当たり前」というような内容で締めた。

・・・

あれから10年以上が経って、noteを始めた。

一応毎日エッセイのようなものを書き続けているので、時折そんな課題を書いたなと思い出すことがある。

「顎と肘の話」を思い出して、頭をよぎったことが2つある。

ひとつは、作風というか着眼点というか、エッセイを書くときの構成や展開方法が今とそんなに変わらないということ。

良くも悪くも、日常の些細なことにしがみついて思考を巡らすコンセプトみたいなものが、意図せずあの頃のままだ。

そしてもうひとつは、今ならそんな考えはしないな、ということ。

これは10余年という月日のせいか、noteを毎日更新しているせいかは分からないけど、間違いなく考え方が変わったなと思う。

もし今、私が書くとしたら「顎と肘はくっつかない。こんなに近いのにともどかしく思う距離だが、これはきっとその必要性がないからだ」という内容になる気がする。

これまで生きていて「あー、顎と肘がくっつけばいいのに」と考えたことは一度もない。こんな話がなければ、顎と肘をくっつけようとすら思わずに生きていくはずだ。

だから、別にくっつかなくてもいいじゃん。
くっつかないものを、無理にくっつけようとしたり、「こんなに近いのに」と惜しく思うのはお門違いかなと。

・・・

人は変わる。変われるとも言える。

見た目だけじゃない。性格や思考まで、案外簡単に変わる。

それは意図しないものももちろんあるけど。

でも、思考を変える方法はなんとなくわかる気がする。

その方法は3つ。

まず、毎日何でもいいから一つのことを深く考える癖をつけること。
次に、他人の考えや知識を得る意識を持つこと。
そして、己の考えを俯瞰視・客観視する力をつけること。

noteを続けてもう少しで9ヶ月。
特にこの3つは習慣となっていた気がする。

つまり、noteで人は変われる"かも"です。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。