「ありがとう」は万能ですか?
小学校の下校中。
友人と選挙カーに出くわした時のこと。
ゆっくり走行しながら、ウグイス嬢の甲高い声がついてきて、うるさいなぁと思い目をやった。
すると、目があったウグイス嬢が、「いま、可愛い小学生たちが、私達に期待の眼差しを向けてくれました。ありがとうございます!」と言いながら、十字路を曲がって去っていった。
なんだかとても居心地の悪い気持ちになった。
期待もしていなければ、「ありがとう」と言われる思いすら抱いちゃいない。
なのに「ありがとう」と言われることが、たまらなく悔しいような、上手く使われたような、すごく見下されたような気持ちになった。
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大人になってからも、お門違いの「ありがとう」に出会うことがある。
例えば私が花屋だったとして、花束の注文が入ったとする。
店長から私に作るよう指示され、花束を作った時、上手に出来た結果、お客から言われる「ありがとう」はくすぐったくも嬉しい。
店長から言われる「ありがとう」は、照れ臭くも誇らしい気持ちになる。
でも、例えば同僚や後輩から「ありがとう」と言われた時、どう受け取っていいのか分からず、「何故?」という思いが駆け巡った結果、なんとなく苛立つということがある。
つまり、なぜあなたに「ありがとう」と言われなければならないのか。
その疑問が、私を不愉快にするのだ。
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「ありがとう」と言えばいいと思ってる人って、意外と多いのかもしれない。
だから言いたい。
「ありがとう」は万能ではない。
言えば誰でも嬉しくなる魔法こ言葉なんかではない。
こんなことを言うと、とんだ天邪鬼と思われるだろうか。
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私の旦那さんは、よく「ありがとう」をくれる。
洗濯をしている時、ご飯を食べた後、ちょっとなんかゴミを捨てただけでも、「ありがとう」と言ってくれる。
それらはどれも嬉しい。
些細なことを見ていてくれること、きちんと言葉にしてくれることに対しては、私から「ありがとう」を言いたいくらいである。
だから、最後に私が単純なへそまがりでないことと、私の旦那さんは良い旦那さんだと言うことを主張しておきます。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。