心が雨の日には鮮やかな傘を差して
暑くて長い夏が終わった。
ただ、気持ちの良い秋晴れの訪れはまだ遠く、雨の日が続いている。
私の街では、小雨が降ったり止んだり、晴れたと思えば雨が降り、朝は傘が必要でも夜は邪魔になるような、あいまいな天気の毎日だ。
先週行った新宿御苑でも、靴を脱ぎ、レジャーシートの上でゴロゴロしていたが、傘を差すほどではない雨がチラッと降った。
すぐに止んだが、そんな不安定な天気の日もある。
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今朝も雨が降っていた。
強くはない。ひとつひとつの粒は小さいけれど、私は傘が必要だと思う程度。傘を差すと、傘に落ちる雨音が小さくポツポツと傘の中で鳴り響いていた。
ただ、同じ道を歩く人の中には折り畳み傘の人もいれば、雨合羽+傘と完全防備をしている人もいた。
中には、傘を差していない人も。
今日も一日降ったり止んだりの天気だと天気予報でも言っていたし、傘を差さずにいると結構濡れてしまうだろう雨の量だと思った。
少なくとも、私はそう判断した。
でも、スーツを着た2.3人のサラリーマンは、傘を持たずに歩いていた。
これから仕事なのに、いいのかなーと思った。
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常々、ストレスというのは雨みたいなものだと思う。心の雨なんじゃないかと。
降りかかる雨を止めることはできない。
皆、傘を差したりカッパを着たり、耐えられない時には雨宿りをしたり。雨の日には、家に引きこもってしまう人もいるだろう。
そうやって工夫をしながら、雨に濡れないようにする。
濡れてしまうと気分も悪いし、服や髪が乾くまで時間もかかるし。
でも、雨に濡れて我慢ができる程度は人それぞれで、多少の雨なんてへっちゃらで「こんな雨で傘を差すなんて」と思う人もいれば、傘を差していても手や足元が濡れるだけで不快だという人もいる。
そんなところがすごく似ている。
・・・
上司に言われて気付いたのだが、私の「いいですよ」「大丈夫ですよ」には、頭に「(我慢できるから)」がつくらしい。
むしろそれが当たり前だと思っていた。
職場だし、3人以上集まっていればそれは一つの社会だし、普通のことだと思う。
しかし、中にはそんな枕詞がない人もいるし、あったとしても程度は異なるだろうと言われた。
私は「心の雨」には強いらしい。
そう言われてみたらそうかもしれない。
そして、ちょっとやそっとの嫌なことも乗り越えられない人にはなりたくない。
心に雨が降っても、鮮やかな傘を差して、可愛い長靴を履きながら、鼻歌まじりにスキップしていて。
そして、誰かが心の雨に濡れてしまっていたら、傘を差して、一緒に雨宿りしてあげられるような。
そういう人に、私はなりたい。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。