言いたいことは言わないでおく
私は自分の感情を誤魔化すのが得意だ。
末っ子だけど、いろんなことを我慢した。
甘やかされつつ、甘やかされていることをしっかり感じ取っていたため、姉や兄には気を使った。
例えばお菓子を選ぶ順番も、末っ子だからと両親が気を遣って私から選ばせてくれても、姉や兄が不満を言ったり、私が選んだやつが良かったと言えば、私はいいよと譲ってあげた。
おそらく姉や兄が人並み以上に自己主張が強かったからということもあるし、それについて父や母が制したり「あんな風になっちゃダメよ」と言われたから、自分の言いたいことを言いたいだけ言うことはいけないことなのだと思っていた。
・・・
大人になってから、母に謝られたことがある。
それは「肩までお風呂に浸かりなさい」と言い続けて申し訳なかったと。
私は喘息持ちで、実は肩まで浸かるのが苦しかった。そのため、母に肩まで使ってと言われるたびに「まだ肩までじゃなきゃダメ?」「もういい?」とよく聞いていた。
しかし、あるテレビ番組で特に喘息持ちの子どもは、ただでさえ気管が狭くなっているのに、胸まで浸かると水圧で苦しくなると言っているのを見た母が、ようやく幼少期の私の言動の意味がわかり、気づいてやれなくてごめんと言ってきたのだ。
母は悪くない。
体を温めようとしてくれていたのはよくわかるし、ハッキリと「苦しい」と言わなかった私の自業自得だ。
ハッキリと言わなかった理由は分からない。きっとあの頃の私は、こう思ったのではないか。
みんなもそうなのではないか。
みんなも我慢してるのではないか。
苦しいというのは、私のわがままなのではないか、と。
・・・
私はこの性格で良かったと思っている。
もっと伸び伸び、いいたいことを言いたいことを言える性格になりたかったなんて、これっぽっちも思わない。
ちょっと鈍感くらいでちょうど良かったなと。
我慢するのは辛い。
我慢できない人になるのは絶対に嫌。
この矛盾を解消してくれるのは鈍感さである。
自分の気持ちなんて、大事な人にだけこっそり言えばいいんだ。
それで十分な気がしている。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。