No.5 Maison Margiela / Replicaスニーカー
皆さんは愛着を持って履き潰している
お気に入りのスニーカーはありますか?
今回は僕が心から愛してやまない
Maison Margielaのスニーカーの
「Replica」スニーカーについてです!
このスニーカーを知るキッカケになったのは
僕の憧れの方がよく履いており、
そんな僕に直々にオススメして下さったからです。
(このお話は記事の最後にまとめています…)
そもそもマルジェラって
何となく聞いたことあるブランドだけど
何がどうすごいのかは分からず
名前だけ知っている方も多いと思います。
そんな方々に向けて
分かりやすくまとめてみました!
Maison Martin Margiela
(メゾン・マルタン・マルジェラ)とは
1988年にマルタン・マルジェラによって
パリで創業されたブランドになります。
(後にMaison Margielaになります。)
マルタン•マルジェラは天性の才能の持ち主で
ブランド設立から1年後にパリコレに出場し
早くも一躍時の人となります。
当時流行っていた
ゆったりとしたシルエットに対して
なんとマルジェラは
細身のシルエットを発表しました。
さらに、モデルの顔を布で隠したり
切りっぱなしの裾や縫い代などが
表に出た型破りな服づくりを
前面に押し出しました。
「既存の衣服を一度解体してから
もう一度新しい形で再構築する」といった
彼のスタイルは、
「脱構築」「デストロイ・コレクション」
などと呼ばれています。
当時のパリコレは上品な高級志向が
世間で人気を集めており、
それを疑問を感じたマルジェラは、
ミリタリーウェアや古着をリメイクしたり、
逆に敢えて、新しいものに色褪せや
ほつれ加工を施して古着風にする
「ポペリズム(貧困者風)」という
コンセプトを生み出しました。
のちに、これが90年代のグランジファッションの
流行に繋がったとも言われています。
(グランジファッションとはロックTシャツや
細身のスキニー、ビッグサイズのシャツ等の
よれっとしたファッションのこと)
最先端のトレンドを取り入れた
「モード」に対して
マルジェラは既存の物で新しいものを作る
「反モード」に拘りました。
実は1997年〜2003年の数年間だけ
エルメスのレディースデザイナーも
兼任しておりました。
(現在でもマルジェラ期のエルメスは
根強い人気を誇っております…)
ここまででも十分な功績を残しておりますが
そんなデザイナーのマルジェラは
「自分を守る為に有名人になりたくない」
という理由で表舞台へ一切現れなかったのです。
(とても繊細な方だったんですね…。)
メディアへのインタビューも
すべて書面でやりとりが行われ、
顔写真も公開されず、頑なに匿名性を貫きました。
その後2008年のブランド設立20周年の
アニバーサリーコレクションをもって
「疲れてしまった」と一言残し
ひっそりと引退されました。
最後までミステリアスな幕引きですね…
2002年にMaison Martin Margielaを
取得していたイタリアのOTBグループは、
2014年、元GIVENCHYやDiorのデザイナーの
ジョン・ガリアーノを
クリエイティブディレクターに抜擢し、
Maison Margiela(メゾン・マルジェラ)へと
ブランドネームを変更し
新たな一歩を踏み出しました。
デザイナーのマルジェラが考案した
ジャーマントレーナーや足袋シューズといった
初期からの代表作はそのままに、
ガリアーノが考案した5ACやGlam Slam等の
バッグアイテムもブランドの
新たなアイコンとして成長しました。
(勿論デザイナーが変わることにより
生まれる賛否もありましたが、
ガリアーノはそれを押しのけるほどの
代表作を作り上げた天才なのです…)
マルジェラの反モード精神を
しっかりと引き継ぎつつも
ガリアーノらしさを感じるデザインは
新たなMaison Margielaの
魅力の一つになっています。
マルジェラのブランドタグは
0〜23の数字が並んだコットンラベルの
4 隅を糸で留めただけの簡易的なもので
カレンダーのように見えることから
「カレンダータグ」と呼ばれています。
このようなタグが生まれた背景には、
「ブランドネームではなく、
服そのものから価値を感じて欲しい」
というマルジェラの想いがあります。
今回はこのカレンダータグでいう
“22”に属するアイテムの一つ、
ジャーマントレーナーという靴から着想を得た
Replica(レプリカ)をご紹介致します!
ジャーマントレーナー(German trainer)とは
70〜94年代に使用されていた
ドイツ軍のトレーニングシューズのことです。
現在、世の中に出回っているものは、
全て「復刻品・レプリカ」といえます。
マルジェラがジャーマントレーナーに
目をつけたのはパリ展覧会のことで
94年に廃盤になったジャーマントレーナーを
日本の靴メーカーのタナカユニバーサル社が
復刻して再度作り上げたのです。
それに着目したマルジェラは
タナカユニバーサル社に
ジャーマントレーナーの生産を発注しようと
したのですが、なんとタナカユニバーサル社側が
「自由に作っていいですよ」と回答したのです。
懐の広さに感銘を受けたマルジェラは、
自信のブランドで作るジャーマントレーナーを
敢えて「レプリカ」と名付けたのです。
これはタナカユニバーサル社への
リスペクトを表し、
現在でもなお続いているということなのです。
タナカユニバーサル社のジャーマントレーナーは
他ブランドから出している
サンプリングスニーカーとは全く違い、
実際に昔に使用していた工場を復活させ、
当時使われていた
機械、型紙、素材で作成しているのです。
(となると昔の仕様と一切変化ないホンモノ…!)
ですので当時の軍隊用ジャーマントレーナーに
最も近いのは「タナカユニバーサル」の
ジャーマントレーナーとなるのです。
そうしてマルジェラは本来持つ
ジャーマントレーナーの良さを残した上で
自身のブランドらしさをプラスで加えました。
まずスニーカーの素材には
生後1年未満の子羊の革の
”ラムスキン”と
生後6カ月以内の仔牛の革の
”カーフスプリットレザー”を使用しております。
品質の高いカーフレザーをスプリット加工で
敢えて薄くすることにより、
より高い履き心地を追求する
マルジェラのセンスが伺えます
(購入直後でも本当に履きやすいんです…)
実はスリッポン構造になっており、
靴紐なしでも容易に履くことができます。
(コアなマルジェラ好きの方は
敢えて靴紐なしで履かれていますが
僕は紐ありのシルエットが好きです!笑)
靴底にはタグが貼っており
製造日が記載されているのですが、
70年代オーストリアと書かれています。
なぜドイツ(German)なのにオーストリアなの?
となるかと思いますが、
当時の軍隊用ジャーマントレーナーは
PUMAやadidasの靴を作っている
同じオーストリアの工場で製造されていたのです。
ソールはバルカナイズ製法で付けられた
ガムソールの頑丈なソールになっております。
一見、靴底の形も現行のものと似ておりますが、
裏返してみるとカレンダータグが施されており
マルジェラらしいサンプリングがみられます。
タン(ベロ)部分は現行に比べて
少し長く広くなっており、
ここにもカレンダータグがございます。
タンを広くすることにより
どこか柔らかな印象になっており、
運動靴になり過ぎない上品さが伺えるのです。
僕はこの部分が特に気に入っております。
レプリカは販売して20年以上にもなり、
本当に上品で洗練されたフォルムは
多くの人から愛されており、
様々なカラー展開に加え、ペイント加工など
多くのバリエーションがございます。
かくいう僕も購入して早3年が経ちます…!
散歩に行く時も、おでかけの日にも、特別な日にも
このレプリカを愛用し
ガシガシ履き潰しております。
老若男女問わず、オススメできますので
是非ご検討した頂きたいアイテムの一つです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
…本来であればここでお終いですが、
アナザーストーリーとして
18歳の頃の僕(現在26歳)が
この靴を知ったキッカケを
綴らせて頂こうと思います。
僕には18歳の頃から憧れの方がいて、
今でもその方のようになりたい
という思いがあります。
その方のファッションは常に一貫しており
どんなブランドの洋服を着ても、
常に着こなし、異彩を放っていました。
「何でこんなにもオーラがあるのだろう…」と
その頃の僕は「憧れの方のようになりたい!」と
それっぽい格好に挑戦してみたり
似たような服を買ってみたりと
色んなことを試しました。
そうやって試行錯誤するもやっぱり何かが違って、
「この人みたいになるにはどうしたらいいのか…」
「何から学べば自分の思う正解に辿り着くのか…」
「同じ服を買えば少しでも分かるものなのかな…」
と悩んでいました。
とは言っても18歳の自分には
ハイブランドを買える程の財力もなく、
アイテムを一つだけ買えたところで
それを活かして着ることはできないし
それでは真似をしただけに過ぎると
気づいていたからこそ迷走しておりました。
そんなある日、
スニーカーが欲しいなぁと思い悩んでいると
その方から「ジャーマントレーナーか
ポンプフューリーが格好良くてオススメだよ」と
直々にアドバイスして下さりました。
(その方もレプリカもポンプも履いており
それがとても格好良くて
羨ましかった記憶があります…)
思い返すと
この一言が全て始まりだったのかもしれません。
その当時の僕は
マルジェラのレプリカは高くて買えず
他ブランドのジャーマントレーナーなら
買えるかもしれないと一度考えましたが
イマイチ他のものには惹かれなかったのです。
それ以上にポンプフューリーの近未来感のある
ハイテクスニーカーの格好良さに惹かれ、
ポンプフューリーを買うことに決めました。
(一人でアメ村のスニーカーショップに出向き
ビビりながら購入した懐かしい思い出…)
「良い店」で「良い靴」を手に入れたことが
当時の僕にとってとても嬉しく、
どこに行くにもドレスコードを
見にまとったような感覚でした。
それを履くことにより色んなショップに
躊躇なく足を運ぶことができました。
それからポンプフューリーを履き潰し
それに合う洋服を探しに出掛け、
気づけばファッションという沼に
肩までしっかり浸かっちゃってました。
ショップ店員さんとの関わりは
とても楽しいものでした。
“デザイナーさんがどんな思いを込めて
このアイテムを作ったのか”を
一つ一つ丁寧に説明して下さるのです。
そういった関わりが
洋服の知識や歴史、
ブランドの生い立ちを知ることができ、
常に学びを得ることができました。
しかも実際に試着することによって
素材の質、着用感、研ぎ澄まされたシルエットを
身を持って実感するのです。
様々な洋服やショップ店員さんとの出会いにより
自然と審美眼が身につき、
知らぬ間に身の丈を成長させてくれました。
それと共に大事なことがわかりました。
どれだけ憧れの人みたいになりたくても
勿論その人自身にはなれなくて、
でも「その人みたいになりたい」という気持ちを
持つことで色んなことに気づくことができました。
決して背伸びし過ぎず、
身の丈を少しずつ伸ばすことが
ファッションの本質であり
本当の楽しみ方なんだと気付きました。
だからこそ
その当時僕に提案して下さった
他ブランドのジャーマントレーナーではなく、
その方が履いていたMaison Margielaのレプリカの
良さを分かる時が来たら
自分も迎え入れようと決めました。
それから4年後、社会人になった22歳の僕は
ついにレプリカを迎え入れました。
決して安い買い物ではないですが、
僕にとってレプリカは「これまでの自分の象徴」
であり、憧れることをいつ何時も忘れない為の
大事な「身の丈」なのです。
「自分が持つにはまだ早い」と
思っていた18歳の頃の身の丈も
色んな洋服との出会いで
少しだけ変化した物語でした。
最後までご愛読頂き、
誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに。
ではでは。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?