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この世界は存在しないのかも知れない

「思うままに夢がかなう超瞑想法」

という本の冒頭が興味深かったのでご紹介したいと思います。

↓以下本文

想像してください。
あなたは今、通勤の途中です。
いつも通り、駅のホームで電車を待っています。
ホームには同じように電車を待つ人がいて、壁には様々な駅看板が掲示されています。
…目の前には見慣れた日常の世界が存在しています。
では目を閉じてください。
するとホームで電車を待つ人も駅の看板も見えなくなります。
見えなくなったあとも、あなたが見ていた風景が本当にそこの「ある」と断言できますか?
あなたが目を閉じた瞬間に、誰かがテレビのスイッチを切るように、あなたが見ていた風景が消えている…そうでないと自信を持って証明できますか?

私達は目の前の世界は存在しているに決まっていると思っています。

更に音や匂いもある。

しかしこの世の森羅万象は、絶対的に存在しているわけではないと言います。

著者は私達の五感が何らかの情報をキャッチして、その情報を脳が処理することによって、この世に存在しているかのように認識させているのだと…

つまり脳が情報処理を行っただけで、事物の存在自体を客観的に証明できたわけではないのです。

だから世界は全て情報でできており”有るとも言えるし、無いとも言える”世界なのだそうです。

不思議なお話です。

でも少し納得もできます。

私達の見る世界は他の生物から見れば、まるで違う世界のはず。

見方によって違う世界なんて曖昧です。

この世は”有るとも言えるし、無いとも言える”なら悩みも同じです。

長い間、悩み患っていたものは”有るとも言えるが、無いかも知れない”

そもそも自分さえ無いかも知れない。

私には、これまで目に映る世界が動かしがたい、重苦しい現実という世界でした。

それが情報にすぎないとしたら、少し気が楽になります。

実体がない世界なら、思い切って好きに生きても良いわけです。

人に変に思われようが、バカにされようが自由に生きた方が良いのです。

こう思うだけでも、少し心が開放されませんか?

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