名称不明の菜っ葉盛り盛りサラダについて

お店屋さんのサラダはいつもすごいなぁと思う。
レタスかキャベツをメインに据えつつ、芸術的な千切りのニンジンや紫キャベツが彩りを添え、水菜やさらし玉ネギがピリッとしたアクセントになって、コーンが親しみやすさを演出する。ちょっと奮発した1皿には、断面も鮮やかなトマトと何かのスプラウトと思しき菜っ葉(少なくともカイワレ大根ではない)がトッピングされていたりする。
コンビニのサラダなんかでも、見るたび軽く圧倒される自分がいる。どうしてみんな、あんなに気合が入ってるんだ? パスタサラダとか冷しゃぶサラダとか、メインを兼ねた料理ならまだわかる。「20品目摂れるサラダ」みたいな、豆だの海藻だのもち麦だのとにかく色々使ってるのが売りの場合も、そういうもんなんだろうと思う。その手のサラダはだいたい家族でシェアするので、1人が何品目食べたことになるのか、毎回首をひねるけど。
でも、1人前の量の野菜オンリーのサラダって、基本添え物扱いじゃん? 焼肉屋さんの塩だれキャベツとか、あれ胸張って「キャベツサラダ」と名乗ったっていいと思うんだ。茹でブロッコリーにマヨネーズかけたやつが「ブロッコリーサラダ」と呼ばれないのも謎だよね。かけただけじゃ不十分で和えてないとダメなの?
まあ、お店の人がそう名乗らせたいかどうかは別問題だし、キャロットラペはオシャレな名前がアイデンティティっぽいから「ニンジンサラダ」とは呼ばれたくないかもしれないけど。
マカロニサラダやポテトサラダは、冠食材の茹でマカロニや蒸かしジャガイモをマヨネーズ和えにしただけじゃ「サラダの要件を満たせない」という業を背負った食べ物なので、キュウリやニンジンが必須になるのは仕方ない。だけど、ポテトサラダにハムがないのは絶対寂しいし、マカロニサラダよりミモザサラダの方がテンション上がるし、あの辺は体に良さそうってイメージ戦略でサラダを名乗ってるだけで、野菜食べるために作ったり買ったりするわけじゃない気がする。
あと、フルーツサラダにキュウリが入ってるのは個人的にドライカレーのレーズンと同じくらい許せないんだけど、「野菜または果物とその他の食材をソースやドレッシング等の調味料で和えたもの」っていう私の認識が間違いで、「最低でも1品以上の野菜を入れなければならない」と決められてるとしたら、メロンやイチゴみたいな果実的野菜は高くて使えない学校給食の苦肉の策だったのかもしれないと今更思う。
話が逸れまくったけど、世の中のサラダってやつはちょっとばかり手が込みすぎてやしないかい、これが今回の主題である。水菜を適当に切ってドレッシングかけたら水菜サラダだし、レタスをちぎってめんつゆとごま油かけて天かすをトッピングしたものは立派なレタスサラダなんだ。
食感の違う野菜を混ぜると食べ飽きないとか、そういう理屈は良い。これが単体で購買意欲をそそらないといけない1品なら、他に負けないアピールポイントも必要だろうし、肉に支配された全体的に茶色いテーブルをパッと華やかに彩ります、っていう3色パプリカ使いも有効に違いない。
ただ、それが高じて、庶民派飲食店のナントカ定食やナンタラセットの「サラダ付き」、所詮はオマケでしかないミニサイズのあれにもコストかかってるなぁ、と感じることが増えた。お得で嬉しい反面、何となく申し訳ない。
葉野菜って天候不順とかあるとすぐ高騰するし、根菜と違って冷凍食品の選択肢ないし、かと言ってコスト調整のためメインの唐揚げ1個減らすなんてやったらクレーム物だし。「半日分の野菜が摂れるタンメン」みたいにモヤシでカサ増しもできないわけで、この際「小鉢付き」にしてひじきの煮物とかミニ冷奴とかでお茶を濁すのでも全然ありだと思うんだよね。
要は、「無料のお水がレモンの輪切り入り」と並ぶ、外食したときに「そこまでしてくれなくてもいいんだけど大丈夫? 無理してない?」と心配になっちゃうホスピタリティの筆頭がサラダなんである。
ランチにかけられるお金は1,000〜1,500円がいいとこだけど、「サラダ付き」のサラダが茹でモヤシにごまドレッシングかけたやつでも全然気にしないから、どうか「お客様の期待以上のものを出してこそ」とか気負いすぎずにお店を長く続けていってほしいと願う。今はなくなってしまった、お値段以上に美味しくてボリューミーだったお店を思いつつ。