失われた夫が、結婚してから5年かけて私の元に帰ってきてくれたはなし
私と夫が出会ったのは約10年前。
私は当時24歳、夫は33歳。
初対面の1ヶ月後に別の場所で再会、その日に付き合うことになり、1ヶ月の遠距離恋愛を経て一緒に暮らすことになった。
結婚のきっかけになった息子はもう5歳。
あらゆる巡り合わせが重なり、私と夫は家族になった。
そして、いま私はやっと「私と出会った頃の夫」と同じ歳だ。
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10年前、夫と一緒に暮らし始めた日。
夫は台所で、炊飯器に研いだ米と水を入れながら
「ご飯は固めが好き?やわらかめが好き?」と聞いてきた。
ご飯の固さの好みについて考えたことのなかった私は
「…ふつう?」
と答えたら「オッケー。ふつう、だね!」とニコニコしながら炊飯器のスイッチを入れた。
後日、炊飯器の内鍋に「かため、ふつう、やわらかめ」という水加減の表示があったことに気付いて、このことだったのかと思い当たって微笑ましく思った。
これから一緒に暮らす私の好みに合わせてご飯の炊き加減を調節しようとしてくれている、その気持ちが嬉しく、そんな夫を愛しく思った。
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夫はとても優しい人で、自分が大変な思いをしてでも人のために尽くすようなところがある人だった。
信念があって、でも柔軟で。
仕事の現場では様々な出来事に臨機応変に対処していく姿に惚れ惚れした。
私の得意な部分は夫の苦手をカバーできたし、私ができないところは夫が解決してくれた。
私たちはとてもいいバランスで、仲良しだった。
子供ができたときは一緒に喜び、結婚してふたりで頑張ろうと誓った、
はずだった。
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「結婚したからには」と新生活を張り切ったのがいけなかったんだろうか。
つわりもなく元気な妊婦だったのが災いしたのだろうか。
気づくと、夫は私が知らない男の人に変化しつつあった。
ゴミ捨て以外の家事は全て私がやるのが当たり前になってきていた。
その頃の夫は本業が暇で家にいて、私は外に働きに出ていたというのに。
あらゆる家庭運営の役割が私ひとりの背中にのってきていた。
ふたりの子供を迎える準備も全て私の主導だった。
陣痛がきたとき夫は「おっいよいよか!?」とタバコを吸いながら、痛みと不安に苦しむ私を笑って見ていた。
そして、子供が産まれて少ししたあと、夫は完全に私の知らない人になってしまった。
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入院中、生まれたばかりの息子を抱いてニコニコしていた夫はまだ私のよく知る優しい夫だった。
退院後はお義母さんが仕事を休んで5日間、私のお世話に来てくれて、夫とふたりで私を労ってくれた。
懐のひろいお義母さんは私の話にたくさん笑ってくれて、私たちはいい関係になれた。
一緒にテレビを見て、苦しくなるほど笑って、私が言った冗談をメモして読み返してまた笑っていたお義母さん。
楽しそうに我が家で過ごす自分の母を見て、夫も嬉しそうにしていた。
「お母さん、あんなに笑う人じゃなかったよ。」
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5日間が過ぎてお義母さんが帰ってしまい、家には私と夫、そして息子が残された。
夜間授乳の対応こそしなかったものの、夫は仕事のあと甲斐甲斐しくご飯を作ってくれて、洗濯物を干し、お義母さんが抜けた分の家事をやろうと奮闘してくれた。
産後2週間の検診には夫も同席して「そろそろ少しなら家事をしてもいいですよ。」と医師に言ってもらった。
その日から、夫は何もしなくなった。
何もというと語弊があるかもしれない、ゴミ出しや沐浴の手伝いなど少しならやっていたかもしれない。
食器洗いをお願いすると、嫌々乱暴な態度で荒っぽく大きな音を立てて洗い物をしていたような気がする。
とにかくそこから『夫が突然役立たずのポンコツになった』という衝撃と共に地獄の日々が始まった。
1ヶ月検診が終わる頃には、夫は完全に私の知らない人になっていた。
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日常の家事に合わせて、息子の夜泣き、授乳のタイミング、色々なことに戸惑いながら寝不足でへとへとになっていく私。
さらに生後2ヶ月で夫は2週間の出張を引き受けてしまい、私は孤立した。
「気が狂って子供と死ぬか殺すかするかもしれない」と怯える私に、友達が2週間のあいだ毎日、昼間は数時間Skypeで繋ぎっぱなしにしてくれた。
夜になると遠くから毎日連絡をくれる夫は、懐かしく愛しい夫だった。
「1人で子供と過ごすのは辛い、早く帰ってきてほしい」と心から思った。
そのおかげでなんとか正気を保ちながら2週間を乗り切った。
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しかし、帰ってきたのはやはり知らない人だった。
私が知っている夫は、優しく、人のために自分ができることを考えて動く人だったはず。
それなのに、目の前の男性は「あーつかれた〜家はいいな〜」と子供を背負った私に全ての世話を要求してくる。
休日は「せっかくの休みなんだから」と夜間授乳と夜泣きで毎日寝不足の私よりも遅くまで寝ている。
息子の世話でままならない家事は、私の背中にどんどん溜まっていく。
寝不足でへろへろの私を「せっかくのお休みを家で過ごすのはもったいない」と連れ出し、帰宅したら「あーつかれた」と座ったまま動かない。
私が調理した食事を食べ、空の食器を置きっぱなしにして、沸いた風呂に入る。
買い置きをどんどん消費して、私が買ってきたものを見つけると「あったあった」とまるで自然現象のように自分のものにする。
食事をしながら会話をしようと話しかけると、生返事でテレビから目を離さない。
時間を作って話をしようとしても、気が乗らない雰囲気で会話を避ける。
「私は育児で大変だから、あなたも家事をして」と声をかけると「僕は外で働いている」と不公平な役割分担を堂々と主張する。
自分が住んでいる家で客のように振る舞う、この偉そうにふんぞり返った愚かな男性は、一体誰なんだろう…。
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私が愛して結婚した夫は優しく、人が喜ぶことを考えてどんどん行動する人だった。
結婚する前に一緒に暮らしていたときは、ふたりで家事をやっていた。
夕食を食べながら、いろいろな話をした。
一緒にいる時間が心地良い人と、家族になれるのが嬉しかった。
私は、なんの疑いもなく、大好きな人との幸せな生活が続くと思っていた。
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「あんなに笑う人じゃなかったよ。」
産後手伝いにきてくれたときに、笑いすぎて椅子から落ち床で転がるお義母さんを見て夫が言った言葉を思い出す。
お義母さんはよく気が付いて上手に立ち回れる優しい人。
産後の5日間、他人である家主の私を不快にさせないようにか、細かいことを私に確認してくれながら家中のことをやってくれた。
お義父さんは鬼籍に入っているため、私は会ったことがない。
でも、夫が九州の山奥の実家で過ごしていた頃、お義母さんは「あんなに笑う人じゃなかった」。
夫の知るお義母さんは、
夫の知っている『母親』は、
「家であんなに笑う人じゃなかった」ということ。
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人は知らず知らずに周りから色々な影響を受けている。
親を見て、先生を見て、友達を見て、テレビを見て。
あらゆることから自分の感覚や世界を作り上げていく。
本人の生まれ持った性格だけで人格や感覚の全ては完成しない。
暮らした社会からの影響を受けて、一緒に過ごす人から影響を受けて、それについて考えたり考えなかったりしながら長い時間をかけて自分が出来上がっていくんだと私は思う。
(そして、『自分』というものは完成することがないものだとも思う。)
夫と私は出身地も生まれた年代も育った環境も全く違う。
関西の都市部で3人姉弟の真ん中で育った私。
九州の山奥で2人兄弟の長男として育てられた夫。
強気で傍若無人な私の母と、人を見て気遣う優しい夫の母。
育ててくれた人の性質も大きく違う。
さらに性別と10歳という年齢差は大きく、社会から受けてきた影響、物事に対するイメージも感じ方も夫と私はかなり違っている。
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夫のなかには私の認識と全く違う『家庭のイメージ』があったんじゃないかと思う。
家族のために滅私奉公する母、威厳のある父。
男は外で働き、女は家庭を守る。
父親に気を使い労う母親。
私は子供を産んで、初めての育児でボロボロに弱っている隙を突いて『夫が描く家族のイメージ』に放り込まれてしまったんじゃないだろうか。
これまでのように対等に意見を発すると「馬鹿にするな」と怒られるようになり、話しかけても会話が成り立たなくなった。
ふたりの家のことなのに、全ての家事は私に押し付けられた。
自分の子供のことなのに、世話から逃げ、ただ可愛がるだけしかしなかった。
あらゆる物事から「なんとかなるでしょ」と逃げ回り、必死でなんとかする私を裏方に回して存在をないことにした。
1人の意志のある個人として存在していたはずの私は、結婚して子供を産んだ途端、夫のなかの『母親という偶像』に押し込められ、『私』として見てもらえなくなった。
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出産から1年半が経過して、体力と思考能力が戻ってきた頃、私の人生のための戦いが始まった。
我が家で王のように振舞う男性に、私の意思を伝えるためにあらゆる手段を試した。
「僕は仕事をしているから」を言わせぬために仕事を始めた。
手紙も書いた、本も渡した。
友人から助言もしてもらった。
週に何度も喧嘩をした。
逃げられても追いかけて追いかけて口論をふっかけた。
私の言い分に言葉で返せなくなって、家具を蹴り上げられた。
度重なる物への暴力はエスカレートして、ある朝は口論から、テレビを投げドアを外し壁に穴を空けられた。
その日、命の危険と子供への影響を危惧した私は実家に逃げ込んだ。
不在になることでやっと、やっと『私の意志』が存在していたことに気づいたようだった。
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そうしてやっと、夫の目に『私』が映るようになった。
言葉が届くようになったので「私には夫が必要だ。だから変わって欲しい」と真剣に伝えたら驚いていた。
夫はもう聞き流すことをせず、変わることを約束してくれた。
そこからまた何度も喧嘩や話し合いを繰り返した。
『私』の言葉が届くようになった夫は行動を少しずつ改めていった。
我儘で身勝手で無愛想な暴力男が少しずつ、本当に少しずつ、私の知る夫らしさを取り戻し始めた。
そこから3年くらいが経過した頃、やっと「私が好きになった夫」と同じ人に戻ったような気がしてきた。
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もうすぐ結婚して5年が経過する。
夫は、先日私の2日間の出張の間、ひとりで子供を見ていてくれた。
以前、友達の結婚式で夫に息子を任せて泊まりに出たときは、お弁当を買って済ませていた夕食も今回は夫の手料理で乗り切ったようだった。
帰宅した翌日も疲れで倒れていた私の代わりに、何も言わずに夕食の準備をしてくれた。
次の朝、夫は早起きして子供たちの朝食を用意していた。
子供と一緒に起きてきた私が「すごいね、ありがとう!」と声をかけると
「まぁね」とニヤッと笑った。
私が好きになった夫が、
人のために動くことを厭わない優しい夫が、
長い長い時間をかけてやっと私の元へ帰ってきた瞬間だった。
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失われた夫を取り戻すための戦いの記録や手段は細かくブログでも書いています。
結婚したら夫に『母親という偶像』に当てはめられて“私”を抹消され、さらに夫自身も自分を消して『外で働く無愛想な父親』に変化してしまった話、やっっと書けてスッキリしました。
出産と寝不足で気力体力ないところに「そういうもの」っていう謎の思い込みからの圧力で洗脳されかけたけれど、まず自分を取り戻して、頑張って夫も取り戻せて、自分たちらしい家族になれて本当によかったです。
読んでくださってありがとうございます!