臓腑(はらわた)の流儀 碧(みどり)の涙 その6
さて、いよいよ紅陽祭の当日がやって来ました。
早朝にはグラウンドで花火が打ち上げられ、学校中が浮かれているようでした。
前々日の衣装合わせで思わぬ感激を覚えてアタシたちは急遽予定を変更して当初案の寸劇を盛り込むことにし、こういうことが得意な孝一郎君が前日に即興で、一貫したストーリーではないものの、なんとかつぎはぎのシナリオを完成させました。
それに伴い、紅陽祭実行委員たちが、あわてて大道具や小道具を製作してなんとか開会式に間に合わせました。
それは例えば、教室の机に大きな段ボールに色を塗った模造紙を貼り付けた物を組み合わせてアリババと四十人の盗賊の洞窟を作ったり、やはり段ボールを切った物に着色してアラジンの魔法のランプを作ったりしました。
それをぶっつけ本番で、演じました。
洞窟の岩の扉の前でアリババの木田君が「開けゴマ!」と叫ぶと机の後ろに隠れていた盗賊に扮した男子がそれを両方向に開きます。木田君は中に入って行って、しばらくすると大きな布の袋を肩から担いで出て来ます。盗賊の宝を奪って逃げるという趣向です。
そうするとやがてまた窟(いわや)の扉は自動で閉まってしまいます。次に何の脈絡もなくランプを手にしたアラジン役の平君がその窟の前にランプを置いて、膝を着き、両手を高く掲げた後で床に伏せ「アッラー・アクバル」という祈りの言葉を捧げます。
そして首から下げていたカメラを取り上げるとフラッシュを焚きました。
「ボン」という音を立てたかと思うと、暗幕を掛けた暗い体育館の中に閃光が光り、一瞬マグネシウムが燃える白い煙が立ち込めました。
するとそれを合図にまた窟の扉が開き、中から大男の野添君がのっそりと出て来て胸を反らして腕を組み
「お呼びですかご主人様?」と大声で言いました。
ステージのある体育館はやんやの声援と大きな拍手に包まれました。
そして次に菊田さんが提案していたケテルビーの「ペルシャの市場にて」に乗せてみどのシェエラザードがベリーダンスを踊ることになりました。
菊田さんによると音楽室に鑑賞用のレコードがあるということなので、本番ではステージ横の放送ブースからそれを流すことにして、菊田さんから木村先生にお願いして当日の朝一番で、音楽室を貸してもらってこれだけは先に練習することになりました。
いくらみどが度胸がいいと言っても、さすがにヘソ出しスタイルでいきなり初めてのダンスを披露するのは難しかったのでしょう。
幸い音楽室にも吹奏楽部が楽器を仕舞っている音楽準備室が付属しているので、ここを借りてみどだけ先にあの衣装に着替えをしました。
菊田さんがレコードを流すと、アラビア風の市場の雑踏を思わせるけたたましいメロディがスピーカーから流れ出しました。
孝一郎君がアドバイスをします。
「いいかみど、振り付けなんてないんだ。ただ曲に乗って身体をくねらせて踊ればいい。できるだけ腰を振って艶かしくな。本当はお腹を出したり引っ込めたりしながら踊るんだが、素人にはそれは無理だろう。
あとは片膝を着いて両手を下に向けて広げて、両肩を交互に揺らしてその首から吊るしている金や銀のジャラジャラを揺するんだ。そうすればそのエメラルドも光を受けて一層輝いて見えるぞ。その時に一昨日も言ったように胸を天井に向けて突き出すのがコツだな」
「ちょっと孝一郎、アンタ中学生のくせに、なんでそんなことにまで詳しいのよ⁉️」
「どうしたデコ、ははぁ、さては妬いてるな?悔しかったら、お前もみど並のプロポーションになってみろ‼️まぁ無理だろうけどな」
孝一郎君はそんな憎まれ口を叩きました。
これに噛みついたのは菊田さんでした。
「ちょっと会長、いくらなんでもそれは失礼ですよ!うてな先輩に謝ってください‼️」
絶対に筋の通らないことは許さないタイプです。
案外来年の野添君の対抗馬かしら?それともみどのように副会長に落ち着くのかしら?
「いやすまんすまん確かに俺も言いすぎた。うてなごめんな、謝るよ」
珍しく孝一郎君が素直に頭を下げました。
「俺だって緊張してるんだよ。ああ、それからベリーダンスは映画で見たんだ。007!」
「ああ、それなら僕も見たよ。確か『黄金銃を持つ男』だったかな?」
平君が後を引き継ぎます。
「それにしても水島、よくそんなこと詳しく覚えているな⁉️それはそうと、こうして当日練習ができるのなら、寸劇の配役を全員集めて総練習をしてもいいんじゃなかったのか?」
「それは俺も考えてみたさ。でもな平、完成した大道具や小道具は全て昨日のうちに体育館のステージの隅に置いておいた。あれをまたここに持って来るのは大変だし、なにより実行委員会の連中は今頃その体育館で技術の梨田先生や用務員さんたちと暗幕やスポットライトの設置でてんやわんやだろう?」
そうです。わが校にはスポットライトがないので、昨日のうちに孝一郎君、平君、野添君の男子三人組が、グラウンドを挟んで向かい合って建つ鮫田小学校に行って、学芸会で使うスポットライトを借り出して来ていたの。彼ら3人は鮫田小の出身だから、小学生時代に自分たちが体験したスポットライトのことを覚えていたのね。アタシは小学校では校区外だったので、鮫小ではなくて、柏通小だったからその辺の事情はわからないの。みどは家は仲道町だけど、中学になってから東京から転校して来たから当然その辺は知らないわね。
割としっかりした造りのそのスポットライトを運んでくる時には大男で力持ちの野添君はすごく助けになったようよ。
「それに練習はしなくても、それほどの脚本じやないさ。第一、文化委員なんてやろうという連中はそもそも文化的なことに興味や才能がある奴ばかりだから、一発勝負でも大丈夫だと思ったんだ」
ここでまたしても孝一郎君の説得力で平君も納得しました。でもいつもそれらしく聞こえるけど、彼の言っていることは本当に正しいのかしら?
確かにその頃アタシたち四役を除く紅陽会実行委員会の面々は体育館での準備におおわらわだったそうです。
同時に放送委員による、ステージの音響チェックも行われていたらしいんだけど、「ペルシャの市場にて」のレコードはこうしてアタシたちが使っているので流すことができなかったため、あらかじめ孝一郎君が同じクラスの放送委員の小山靖子さんに自分が持って来た久保田早紀の「異邦人」のレコードを託して、それで音響テストをしたそうですし、この曲は、開会式のオープニングからそのダイナミックなイントロで盛り上げると同時に、紅陽祭期間中は折に触れ、放送室から各教室に流されました。また寸劇のナレーションも孝一郎君は考えて、それを小山さんにお願いしていました。
小山さんは背丈はアタシと同じくらいですが、鼻筋が通って、目がくりっとしたお人形さんのような女子で、みどや植村美樹さんとは別のタイプの美少女です。
鈴を転がすようなハキハキと可愛い声でよく校内放送のアナウンスを務めます。将来はアナウンサーか女優でも目指しているのでしょうか?
この日もいきなり渡されたはずの孝一郎君の書いたシナリオをそれは見事に語りました。
それもそのはず、アタシと同じ書道部でやはり放送委員のマユミによると、どうも小山さんは孝一郎君に気があるみたいなのね。マユミはライバルだって息巻いていたわ。でもマユミは放送委員には、学校で好きなカーペンターズとか、ジョン・デンバー、オリビア・ニュートン=ジョンの曲を流したいがために立候補したという少々動機が不純な子だけど、アタシはそれがマユミの個性だと思っている。
小山さんや、ましてやみどやミッキィと張り合えるかは別だけどね。
そして遂にそのみどのシェエラザードのベリーダンスが始まりました。
体育館に流れる「ペルシャの市場にて」に乗せて、中学生ながら高身長のみどか妖艶に腰をくねらせて踊りました。さすがにバスケ部のキャプテンです。運動神経は抜群ですし、リズミカルに跳ねるような動きもお手のものです。
体育館の袖壁の上に設置されたスポットライトから放送委員の男子が操る緑色の光線に包まれて、首から下げたエメラルドのペンダントが激しく揺れて光を反射しました。
踊りが終わった時には体育館に響き渡る大歓声と万雷の拍手でした。
その直後に孝一郎君のシンドバッドと木田君の魔法使いのチャンバラなどもありましたが、さすがの孝一郎君もすっかりその存在感を奪われていました。
後になってみどは1組担任の和田先生やバスケ部顧問の樋口先生にずいぶんこっぴどく絞られたそうだけど、このみどのシェエラザードとベリーダンスだけで今年の紅陽会は大成功を収めたと言っても間違いはなかったでしょう。
ところが、そんな興奮の余韻も束の間、みどのエメラルドが紛失してしまうという大事件がぼっ発しました。