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通勤途中散歩にて(置き場のない妄想帳)


今日もまた朝の東京を歩いていました。

目白近衞町あたりの高台のお屋敷街から下落合に向かって、細くて急な傾斜の坂を下る僕の横を、五月の朝の日差しを浴びてキラキラと光る、何か丸いものが通り過ぎてゆきました。

あっ、と短く叫ぶ声を後ろから聞き、慌てて伸ばした僕の右手より一瞬早く、その何かは七曲がりと呼ばれるその坂の下のほうへと消えていきました。

「お誕生日のプレゼントだったの」

僕に並んで坂を駆け下りながら、彼女はそう言いました。
それは彼女が自分のクラスの男の子に向けて作ったサッカーボールでした。
高いヒールに濃紺のタイトなスーツ。彼女は一見すると幼稚園の先生には見えませんでした。

坂をくだり切った突き当たりのT字路の左右を見回しても、その手作りの誕生日プレゼントは見当たりません。
丁寧にお辞儀をして、あとは自分で探します、という彼女に、まだ始業まで1時間以上もあるから一緒に探そう、と僕が答えると、彼女はもう一度、深々と頭を下げたあと満面の笑みでこう言いました。

「じゃあ、消えた宝物をめぐる冒険に出発ですね!」


七曲がりの坂、と言われるだけあって、山手の丘陵の途中に建つ大きな屋敷を縫うように、小さなカーブと雑木林が続いていました。
僕たちは、まるで迷子を探し出すかのようにそのひとつひとつを覗き込み、呼びかけます。
彼女はときおりヒールを脱ぎ捨て、膝の汚れも気にせずに四つん這いになって、緑の間から庭先を覗き込みます。
すらりと伸びた白い脚を、午前8時の優しい光が音もなく包みます。

このまま宝物が永遠に見つからなければいいのに。


どれくらい時間がたったのでしょうか。
そんなふうに僕が思いはじめたちょうどその時、あった、と彼女が声をあげました。

「ほら、見つかった。ねぇ、素敵なボールでしょ?」

彼女の両手は、大切な何かをそっと抱きかかえるように、宙にまあるい下半円を描いています。
けれども、僕にはその何かが見えません。

「ほら、このラメの部分が大変だったんです」
「うんうん、そうだね」
僕はそう曖昧にうなずくことしかできません。

うそよ。

彼女はちょっとうつむいて、困ったような笑みを浮かべて、そう言いました。

「このままいつまでも私に付き合って探してると、あなたが会社に遅れちゃいそうだから」

でも、と言って彼女は再び顔をあげ、ちょっと背伸びをするように両腕を後ろに大きく反らせました。

予定とは違う宝物が手に入ったから、いいんです。
今日は、先生とってもやさしいお兄さんに出会ったのよ、って。
リョウくんのプレゼントを会社に遅れそうになっても、ずっと一緒に探してくれたの、って。
だからそのやさしい気持ちを、リョウくんにプレゼントするから、いいんです。


おそらく9時の合図でしょうか。
遠くどこかの小学校から始業のチャイムが聞こえてきました。
紺のスーツから、ちょっとだけはだけた彼女の白いブラウスの膨らみがまぶしくて、僕はいつまでも坂の途中で目を細めていたのでした。




なーんてことを妄想しながら、今日も楽しく一時間半も歩きました(笑)

<了>

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