ドロップ! ~ひったくったのは殺人の証拠物品でした~ 【2】

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

【2.残り香】


 
 
「いただきます」
「どーぞ。あった物で適当に作ったから口に合うか分かんねえけど。あ、里見……は、目玉焼きはソース派? 醤油派?」
「僕は生まれて此の方、醬油派だ」
「あ~……っぽいわ」
 日付は変わって朝。醤油の入った小瓶を里見に差し出しながら、都倉は小さくぼやいた。
「ったく、これじゃ用心棒じゃなくて家政夫だよ……」
 む、と里見が都倉を見上げる。
「住む家もないだなんて聞いてない。きみの当面の生活費は誰が出すと思ってるんだ」
「分かったよ! 何でもやるって」
 滞納した家賃が溜まりに溜まって、都倉がアパートを追い出されたのはつい先日のことだ。里見は事務所で寝泊まりしているらしく、都倉はそこに居候させてもらう代わりに住み込みで働くことになった。用心棒兼家政夫だ。
「……ご馳走様。味は悪くなかったよ」
「あ……そう?」
 米粒一つ残さず、里見は箸を置いて静かに手を合わせた。なんというか、所作が一つ一つ洗練されていて目を奪われる。育ちが良いのだろうか。
「まあここまで綺麗に食べられたら、悪い気しねえよな……っと、俺もごっそさん」
 皿を片付けようと立ち上がれば、むんずと腕を掴まれた。
「……米粒が残っているようだが」
「え? あ……」
 見ると、確かに都倉の茶碗には米が二、三粒ほど残っている。やや困惑した様子の都倉の反応を見て、里見は腕を離した。
「別に文句はないよ。きみの作った物だし、好きにしたらいい。……ただ、ウチだって儲かってるわけじゃないんでね」
「もったいねえってこと?」
「そんな簡単な話じゃない。もしもこの食事を最後に、何日も何も口にすることのできない状況になったとしたら? その時、一分一秒でも自分の命を永らえさせることのできたこの一粒を、きみは本当に悔やまないのかと聞いてるんだ」
「ウッス。いただかせていただきます……!」
 慌てて米粒をかき込んだ都倉は、ふと里見を見た。
「この事務所、そんなに儲かってねえの……?」
 里見が黙って本棚を指差す。数冊の本が置かれているその中に、【初心者でも見分けられる! 食べられる雑草・食べられない雑草】というタイトルの物があった。
「きみだってアスファルトの隙間に生える雑草の味は知りたくないだろう」
「あんた意外とたくましいんだな……」
 確かに皿は舐められたように綺麗にたいらげられていたが、それは育ちの良さではなくむしろ雑草根性から来ていたらしい。ちゃんと聞いてみるまで人のことは分からないものだと都倉は唸ったが、不思議と悪い気はしなかった。
「それじゃ、食べ終えたら今日は出かけるぞ」
「えっ、今日出かけんの?」
 腑抜けた返事をする都倉に、里見がじとりとした視線を寄越す。
「……きみ、自分の依頼を忘れてないか。何のためにここで働いてるんだ」
「いやいや、分かってますって……」
「月宮邸に行く。現場を見ておくのは重要なことだからな」
 
 
 事件から一晩経った月宮邸は、正面の門がマスコミや野次馬でごった返しているわりに、警官は数人配置されているだけのようで、警備は手薄な印象だった。
「昨日あんだけ大々的に報道されたのに……」
「話題性はあるが、警察はこの件を自殺として片付けて事件性はないと判断したみたいだからな。まあこんなものだろう」
「そんなもんか……」
 胸がずきりと痛むのを感じて、都倉は顔をしかめた。自分が言えた義理ではないが、月宮薫子のことを思うと無念でならない。彼女が今のこの状況を見たら、一体何を思うのだろうか。今となっては、それを知る術もない。
「俺、自分のことばっか考えちゃってたけど……月宮ちゃんのためにも、俺たち頑張んないとな」
「そうだ。きみの無実を証明することは、彼女の無念を晴らすことでもある」
 正面からやや外れた位置の植込みの隙間から、里見は静かに月宮邸を見据えていた。都倉より華奢なはずのその背中が、とても頼もしく見える。
「それじゃ、行くぞ」
「え?」
 言うや否や、里見は片足を植込みに突っ込んだ。そのまま身体も押し込んで、侵入者を阻むように生い茂っている木々をものともせず、ガサガサバキバキと体中ひっかき傷を作りながら進んでいく。やっと開けた場所に出たときには、そこはもう月宮邸の敷地内だった。
「ちょっ……コレ、不法侵入じゃねえ!?」
「現場に行くと言っただろ」
「ここまで非公式たっぷりなカンジだと思わないじゃん!?」
 屋敷の様子から、ちょうど植込みを抜けた先の建物の一角が、事件現場の月宮薫子の自室だと何となく分かった。窓が開きっぱなしになっており、広大な屋敷の角部屋にあたるそこを捜査するには、遠い玄関より窓からの出入りのほうが容易かったのだろうと推察できる。しかしやはり警察はほとんど撤収しているらしく、その姿は見えなかった。
「どうやら僕らは運がいいらしいな」
「……マジ?」
 ためらう素振りも見せず、里見は開いている窓に手をかけて、ひらりとその向こうに身を躍らせた。一息遅れて、都倉もその後に続く。
「……窓が開いていること以外は、当時の状況そのままみたいだな」
 室内を見渡した里見が、都倉を振り返った。
「調べたいのは主に二つだ。一つ、この部屋は本当に密室足り得たのか。簡単に言うと、隠し扉や抜け道がないか。二つ、何か被害者からの手がかりはないか」
「ダイイングメッセージ……ってこと?」
「そんなきちんとしたものじゃなくてもかまわない。まあそんなものが分かりやすく残っていたら、警察だって事件として動いているだろうしな」
 そう言うと里見は注意深く辺りを観察し始めた。都倉もそれに倣って、見よう見真似で室内を見渡す。名家の一人娘の自室なだけあって部屋は広かったが、隠し扉や抜け道のようなものは特に見当たらない。巧妙に隠されているだけかもしれないが、そちらは首を捻っている里見が何とかしてくれるだろう。違う方向に顔を向けて、都倉は息を呑んだ。
「あ……」
 血痕がおびただしく床に残っている。さすがに遺体はもうここにはないが、血の量からしておそらくこの場所に彼女は倒れていたのだろうと想像がついた。咄嗟に、手を合わせて頭を下げる。
「……しんどかったよな。俺なんかよりずっと、悔しかったろうな……」
 見ると血痕は点々と扉まで続き、ドアのロック部に血の付いた手で触れたような跡があった。まるで最後の力を振り絞って、開錠を試みたかのような。悲痛な願いがどっと押し寄せてきて、その目で見たわけでもないのに脳が勝手に彼女の最期を再生しようとする。
「……とくら、都倉。大丈夫か」
「え? あ……里見……?」
 気づくと、里見が隣にいて都倉の腕を掴んでいた。
「ど、どしたの。なんか見つかった?」
「いや、僕のほうは何も。広いには広いが、特に何の仕掛けもなかった」
「そ、そっか……」
「きみのほうは何か……いや、愚問だったな」
 言いかけて、里見は口を噤んだ。握られた手の力が僅かに強まる。
「辛かったら見なくていい。きみは僕と違って、こういう現場に慣れていないだろう」
 ゆっくりと腕を離した里見は、目を閉じると静かに顔の前で手を合わせた。今朝のご馳走様を思わせるそれは、相変わらずこの世の穢れを知らないようで美しい。しかし、実際の彼は穢れを知らないわけではない。都倉はぐっと唇を引き結んだ。
「……いや、俺もちゃんと見ねえと。月宮ちゃんは自殺じゃないって、この世で一番そう思ってんのは、他の誰でもない俺なんだから」
「そうか。……無理はするなよ」
 都倉の視線の先に気づいた里見が、血の付着したドアのロックを見て痛ましく目を伏せた。
「なるほどな……ドアを開けようとしたのか」
 犯人の特定には至らなかったが、この部屋で彼女が遺した一番のメッセージはこれだろう。里見がスマホのレンズを近づける。控えめなシャッター音が鳴り響いて──直後、ドアノブがぐるりと回った。
「さ……里見、下がれッ!」
「誰っすか、そこにいんのは!」
 ドアが勢いよく開いて、拳銃を構えたスーツ姿の青年が飛び込んできた。拳銃の先が、里見を庇おうと前に出た都倉の頭部を寸分の狂いなく狙っている。刹那、里見が声を上げた。
「止まれ、犬飼! 僕だ!」
「……里見さん?」
 ぴたりと動きを止めた青年が、ぱっとお手上げをするように拳銃を天井に逸らす。都倉はへなへなとその場に座り込んだ。
「び……びっくりした……」
「彼は僕の知り合いの刑事だ。心配いらない」
 里見が都倉の肩に手を置く。犬飼と呼ばれた青年は拳銃を懐にしまうと、呆れたように深いため息をついた。
「はあ……見つかったのがオレでよかったっすね。こんなのオレ以外なら大目玉ですって」
「悪いな。いつも見逃してもらって」
「ほんと、こんなん許してんの里見さんだけっすから。マジで」
 どうやら二人はかなり親しい間柄のようだ。若干蚊帳の外で二人の話を聞いていると、ふと青年が怪訝そうに都倉を指差した。
「……で、里見さん、また新しい犬でも飼ったんすか。駄目でしょ~そんなホイホイ拾ってきちゃ」
「はあ!? てめっ……誰が犬だよ!」
「誤解を招く言い方はよせ、犬飼。彼は僕の依頼人だ。期間限定で用心棒もしてもらってる」
「……ふぅん?」
 飄々と軽い口調で翻弄してくる青年はしばらく都倉を観察するように眺めていたが、里見に促されてやっと口を開いた。
「犬飼っす。犬飼隼人(いぬかいはやと)。刑事やってます。年下だからって舐めないでくださいね」
「彼は、仕事上こういう場に出入りすることの多かった僕に、厳重注意を繰り返すことを次第に諦めた可哀想な子だ。今はむしろ僕に協力してくれている。そしてこっちは……」
「都倉圭介。言っとくけど俺は、里見の用心棒兼家政夫兼、相棒だかんな」
「やっぱ犬じゃないっすか。ねえ里見さん、犬は一匹でいいっしょ」
 すり寄っていく犬飼を引き止めようと首根っこを掴んだが、犬飼は逆に都倉の耳に顔を寄せた。
「……都倉さんて、もしかして惚れてるクチっすか? 里見さん、綺麗だし面白いし」
「は、はあ!? そんなんじゃねえし!」
 ニヤニヤと推し量るように都倉を見る犬飼に、二人の会話は聞こえなかったのか里見が声をかけた。
「犬飼、早速で悪いが協力してくれ。これを鑑識に回してほしい」
「なんすか、この布の切れ端。付着してるのは……血液ってことでいいんすか?」
「月宮薫子が他殺だったと証明し得るかもしれない物だ」
 驚きを隠せなかったのか、犬飼の動揺する気配が伝わってくる。
「なんでそんな物を里見さんが……」
「今ここでは言えない。だが、調べる価値のある物だ」
 犬飼からは見えないよう、里見が都倉に目配せする。どうやら里見は、証拠物品の一部を切り取って持ち込んでいたようだ。
「これが月宮薫子の血液と一致するか、照らし合わせてほしい。彼女のものだとはっきり分かれば、僕らがやろうとしていることに一歩近づく」
「まあ、里見さんの頼みなんでやってみますけど……あ、でもコッソリ回すんで、結果はまた後日になりますよ」
「それでかまわない。きみにはこの事件の詳細もじっくり聞きたいと思っていたところだしな」
「……里見さんは、彼女が自殺ではなく、他殺だったと考えてるんすね?」
 犬飼が里見をじっと見つめる。里見は迷いなく頷いた。
「ああ。その通りだ」
「実は、里見さん以外にもそう仰ってる方がいるんです。この屋敷の主人、月宮源信(つきみやげんしん)さん。彼女の父親です」
 
 
「娘は殺されたんだ!そうに決まっとる!」
 源信の部屋に入るなり、鋭い恫喝が飛んできて都倉は思わず身を固くした。しかし、今のものは自分たちに向けられたわけではないらしい。
「まあまあ。そない怒らんでもええやないですか、月宮先生。インタビューやさかい、質問には順序っちゅうもんがありまして」
 テーブルを挟んで向かい合っていたのは、品の良い身なりの初老の男性と、茶髪に赤い眼鏡を掛けたどこか胡散臭さを感じる男だった。
「あ、ホラ先生、お客さん来はりましたよ」
「む?」
 赤眼鏡の男が都倉と里見を指差す。警察がいないほうが話しやすいこともあるだろうからと、都倉たちを案内したあと犬飼は席を外していた。
「初めまして。探偵事務所を経営しております、里見孝太郎と申します」
「あ~っと……お取り込み中すんません。俺はええと……助手?の都倉圭介です」
「失礼ですが、そちらは月宮源信さんでお間違いないでしょうか」
 里見が視線を向けると、初老の男性は都倉を一瞥した後、里見に向かって頷いた。
「いかにも、私が月宮源信だが。して、きみたちは私に一体何の用かね?」
「単刀直入に申し上げます。僕たちは、月宮薫子さんが他殺であったと考えています」
 源信の目が見開かれる。警察とのやり取りに辟易していたのだろう。ふらふらと立ち上がると、神の救いとばかりに里見の前に膝を着いて手を握った。
「本当かね!? 本当に、あの子が自殺なんかじゃなかったと、そう思ってくれているのかね……!?」
「はい。お嬢さんの無念は僕らが必ず晴らします」
「里見くんといったね。どうか、どうか娘のことをよろしく頼むよ……!」
「なんやなんや、おもろそうなことになってきたやんか」
 赤眼鏡の男が身を乗り出す。スマホを構えてうきうきと動画撮影の準備を始める彼に、都倉は問いかけた。
「ていうかずっと思ってたんだけど……あんた、誰なんです?」
「ボクはフリーライターの松風翔吾(まつかぜしょうご)っちゅう者や。チャンネルも持っとって、そこそこ有名やで。ほな、御贔屓に」
 それだけ言うと松風は再びカメラを里見に向けた。録画中の画面に、里見と源信とついでに都倉も映り込む。
「ご安心を。真実は僕らが暴いてみせます」
「里見くん……!」
「里見クン、画面映えするなぁ。ファンになりそうやわ」
「なんか俺、空気だな……」
 生配信ではないものの全世界に堂々と宣言する里見を、都倉は頼もしいと思いつつもやや複雑な面持ちで見つめた。


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