ドロップ! ~ひったくったのは殺人の証拠物品でした~ 【3】

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

【3.灯火】


 
 
「……というわけで鑑識の結果、この血液は月宮薫子のものと一致しました」
「よくやった、犬飼」
「へへ、それほどでも。オレは役に立つ犬なんで」
「ちくしょー……どうせ俺は空気だったよ」
 翌日、都倉たちは里見の事務所で作戦会議を開いていた。
「なんや里見クン、やたら自信満々や思てたけど、そないなブツ持ってたんかい。怖いなぁ」
 何故か参加している松風に、犬飼が声を忍ばせて問いかけてくる。
「……あの人、誰です? なんでここにいるんすか」
「松風翔吾……サン。フリーライターやってて、この動画撮った人」
 都倉は松風が自分のチャンネルに上げた、里見が源信と会った例の動画を再生して見せた。雑音や自身の声などがカットされて編集されてはいるが、嘘や誇張はなくほぼあの時の映像そのままだ。
「あ、この動画ならオレも見ましたよ。都倉さん空気でしたね」
「うわぁ……コメント欄、里見のことばっかだな……」
 動画はチャンネルの中でダントツの再生回数を誇っており、コメント欄は里見を称賛し期待を寄せる声で溢れかえっている。源信に対する同情も数多く見受けられ、当然といえば当然だが、画面に映っているとはいえ都倉に言及しているものは一つもなかった。
「おっ、嬉しいなぁ。ボクの動画見てくれてるん?」
 目ざとく、松風が寄ってくる。
「ありがたいことになぁ、おかげさまでチャンネル登録者数もうなぎ登りやで。ところでキミ、誰やったっけ」
「……都倉です」
「せやった、せやった。里見探偵事務所の『じゃない方』クンや」
 一瞬カチンときたが、思い当たる節が数多くあり都倉は肩を落とした。
「たしかに俺、月宮のおっちゃんにも全然相手にされてなかったからなぁ……」
 里見はシンプルながら小綺麗な格好をしているが、改めて見ると都倉の格好はお粗末だった。薄汚れたジーンズにパーカー、ジャケット。脱色した髪は新しく色を入れ直す金もなく、根元は地毛そのままでいわゆるプリン頭というやつだ。
「……で、なんでどこの馬の骨かも分からないライターがオレらの会議に参加してるんすか」
「だってボク、里見クンのファンやもん。あ! 里見クン、今の視線もっかい」
「あ、ちょっと! 話はまだ終わってないんすけど……」
 犬飼の言葉などまるで聞こえていないというふうに松風が去っていく。目つきに湿度の増した犬飼とふいに目が合い、都倉は頷いた。
「あいつウゼ~……」
「初めて意見が合ったっすね、都倉さん。共同戦線張りますか」
「おう」
 こっそり同盟を結んでいると、当の松風がせわしなく時計を見て声を上げる。
「っと、もうこんな時間や。人気ライターはあっちこっちひっぱりだこやからなぁ、ボクはこのへんでお暇するで」
 ほなさいなら、とあっという間に荷物をまとめて松風は事務所から出ていった。扉が閉まる音と遠のく足音だけが聞こえてくる。
「マジで何しに来たんだ、あいつ……」
「さあな。きみが来たときのほうがもっと騒がしかった」
 里見が仕切り直すように眼鏡を押し上げた。
「話の続きだ。それで犬飼、この血液は月宮薫子のものだと断定できたわけだが、これがいつ頃付着したか分かるか?」
 気を取り直すように咳払いを挟んだ犬飼が、持参した資料をパラパラとめくった。
「ええと、鑑識結果が出た時点で約三十時間が経過してたみたいなんで……逆算するとおよそ二日前の夕方っすね」
「すっげえな。そんなん分かんの?」
 都倉が感心していると犬飼は得意げに胸を反らした。里見が顎に手を当てる。
「念のため聞いておくが、被害者の死亡推定時刻は?」
「同じく。二日前の午後五時っす」
 それを聞いて、里見が気遣うように都倉を見た。
「今から二日前のその時間は、ちょうどきみが血相変えて僕のところに駆け込んできた頃だ。時間帯から考えて、やはりきみが持ち込んだあれは月宮薫子殺害の凶器と見て間違いないだろう」
「マジか……いっそ間違いなら良かったんだけど」
 犬飼が訝しげな視線を向ける。
「あの~そろそろこんな証拠がここにある経緯を教えてもらっていいすか?」
「それについては僕が話す。都倉、それでかまわないか」
「あ……うん。里見がいいんなら……」
 これまでの事情を里見がかいつまんで説明すると、犬飼はみるみる眉間の皺を深くした。
「……ッ超~容疑者じゃないっすか。オレ逮捕しましょうか?」
「待って、お前里見の話聞いてた!? ステイ、ステイ! ゴーハウス!」
「犬呼ばわりやめてもらえます? 別にアンタの犬じゃないんで!」
 ぎゃあぎゃあと言い争いが始まったのを見かねたのか、里見が庇うように手のひらを都倉に向けて犬飼を牽制する。
「気持ちは分かるが、今は手を引いてくれ。きみたちが善良な市民を守らなければならないように、僕には僕の依頼者を守る責務がある」
「さ、里見ぃ~……!」
 都倉が尊敬の眼差しを向ければ、犬飼はふてくされたように来客用のソファに寝そべった。
「ちぇっ、これじゃどっちが用心棒か分かんねえっすよ」
「う……それはほんとにそう……」
 ごろんと寝返った犬飼が、改めて都倉をじっと見る。
「でも今のこの状況って、マジで都倉さん次第っすよね」
「へ?」
「だってそうでしょ。現場は調べて、不確定な証拠も裏が取れて。あと手がかりが残ってるとすれば、都倉さんの記憶っすよ。バッグをひったくった相手、覚えてないんすか?」
 ううむと唸って、都倉は首を左右に振った。何度思い出そうとしても、直後に開けたバッグの中身が衝撃的すぎてその前の記憶がはっきりしない。相手の顔を見てはいるはずだが、思い起こそうとすると肝心な部分にもやがかかって、文字通り煙に巻かれたようになってしまう。
「ごめん。俺、あの時のことあんまよく思い出せなくて……」
「無理もない。相当なショックを受けたはずだからな」
 丸まった都倉の背中に手を置いた里見が、屈んで顔を覗き込んでくる。
「だが、きみの記憶が頼りなのは確かだ。何か思い出すきっかけがあれば……」
 里見はしばらく考え込んだ後、勢いよく立ち上がった。
「兎にも角にも、まずは人に会うことか。手始めに月宮邸に行こう」
「えっ、またあそこに行くのか?」
「月宮源信に呼ばれてるんだ、きみもついてきてくれ。どうやら僕らは彼に気に入られたらしい」
 
 
「さあ里見くん、たくさん食べてくれたまえ。なあに、遠慮はいらんよ」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……」
「志を同じくする者同士、親睦を深めようではないか。ハッハッハ!」
 源信の用事とは食事会だった。大勢の使用人が入れ替わり立ち替わり、豪華な食卓を彩っていく。金が底をつき始めてからというもの、ろくなものを口にしておらず、都倉の腹が鳴った。状況は里見も似たようなもののはずで、彼がこれを承諾したのも頷ける。
「犬飼も来れば良かったのに……」
「あいつは警察という立場上、本来なら僕らと対立しているはずだからな。ここには呼べないだろう」
 源信が使用人を呼び止めて、グラスにワインを注ぐよう促す。自身のグラスを満たした後、満足げに客人に問いかけた。
「どうかね、里見くんも」
「いえ。僕はアルコール遠慮しておきます」
「そうか、残念だが仕方あるまい。……そっちのきみは?」
「あ、せっかくならちょっといただこうかな、なんて……」
 眉をぴくりと動かした源信は渋々といった体を隠さず、近くにいた使用人に指示を出した。
「……きみ、注いでやりなさい」
「かしこまりました、旦那様」
 都倉に近づいた使用人の青年が、丁寧な手つきでボトルを傾ける。液体が心地良く滑る音を聴きながら、都倉は里見に零した。
「……やっぱ俺、信用ねえよな。俺も俺みたいな奴、信じらんねえもん」
「そう気を落とすな。彼も一人娘を亡くしたばかりだ。気が動転してるんだろう」
 ひそひそと囁き合っていると、源信が再び話し始めた。
「ところで里見くん、捜査のほうは順調なのかね?」
「順調、とは言い切れませんが……今日も収穫はありました」
「結構、結構。警察などとうに匙を投げてしまったからな」
「そうですね。僕も警察の判断はいささか早計だったかと思います」
「まったく、早々に捜査を打ち切りおって。娘が自殺などありえんだろう。誰かに殺されたんだ!」
 源信の声が大きくなる。ぴく、と都倉の視界の隅でワインのボトルが揺れた。
「……っお嬢様は、自害されたんです……!」
 声を上げたのは、ワインを注いでくれている使用人の青年だった。思わず口から出てしまったといった様子で、本人が一番驚いて顔面蒼白になっている。手元のボトルがぶるぶると震えて、グラスと音を立てていた。
「……きみ、今のは一体どういう意図の発言だ? ちょっと詳しく……」
「いや、気にしないでくれ里見くん。彼はこの屋敷で一番、薫子と歳が近くてね。親しくしていたようだから、気でも動転しているんだろう。奥森くん、下がりたまえ」
 源信が追い払うような手振りで促すが、青年は青ざめたまま固まってしまったかのようにその場を動こうとしない。いや動けないのか、都倉は青年の裾をちょいちょいと引っ張った。
「あの……大丈夫? ワイン、零れちまってるけど……」
「あっ! す、すみませ……申し訳ありません!」
「や、俺は全然大丈夫なんだけど、きみが……あ!」
「大変失礼しました! すぐに布巾をお持ちします!」
 我に返ったように青年がやっと動き出す。逃げるように去っていく姿を目で追いかけながら、都倉は愕然とした。
「都倉? どうした、何かあったか」
「……あの子だ」
 信じられないものを見たとでも言うような都倉に、里見もまさか、と目を見開く。
「……あの子だよ。俺がバッグをひったくったの」
 
 
 青年のほうはワインを零すほど取り乱してしまったせいもあってか、都倉の姿を見てもピンときていないようで、それから彼とは言葉を交わすことなく食事会は終わった。
「やはり、彼には一度きちんと話を聞きたいところだ。あの発言の意図も気になるしな」
「話を聞くったって……これからどうすんの?」
「何のためにここで待ち伏せしてると思ってる」
 里見が外から月宮邸の門扉を睨む。都倉たちは屋敷から少し離れた物陰に身を潜めていた。
「屋敷から出てきたところを突撃すんのか?」
「いや。彼は住み込みで働いているわけではないと聞いた。しばらく泳がせて、帰宅の直前を狙う」
「……もしかして、尾行ってやつ? 何もそんなまわりくどいことしなくても……」
 都倉の純粋な疑問に、里見は久しぶりに見る人の悪い笑みを浮かべた。
「月宮源信に聞いて、彼の名前は把握してる。ここで自宅の位置も特定して、彼には僕らから逃げられないと思い込ませる」
 思わず、背筋が凍った。
「……あんたって、時々ちゃんと性格悪いよな……」
「どうも。綺麗事だけじゃ務まらないものでな」
 しれっと里見が答える。しかしややあって、言い出しにくそうに都倉をちらりと見た。
「……ただ、差し当たっての問題が一つある。僕は、この尾行という捜査がとんでもなく苦手だ。どういうわけか、すぐ感づかれてしまう」
「え? ああ……たしかにあんた、目立ちそうだもんな」
 松風の動画が良い例だ。里見があれだけの注目を集めたのはビジュアルによるところも大きいだろうが、それは単純なルックスの良さだけではない。現代日本ではやや浮世離れしているというか、道端でスマホをいじっているより文庫本でも読んでいるほうがしっくりくるような、そういう古風な雰囲気が里見にはあった。
「いまどき文庫本読みながら尾行してたら目立つよな……」
「何の話だ」
 里見が咳払いする。
「とにかく、尾行は僕の不得手とするところだ。そういうわけだから、今回はきみに任せたい」
「えっ……え!?」
「彼を尾行するきみを、僕は少し離れた場所から追うことにする。通信機で会話もできるから心配するな」
「ちょっ……ままま、待って」
「大丈夫だ。きみならできる」
「俺、尾行なんてしたことねえんだけど……」
「……あ、ほら。噂をすれば、彼が出てきたぞ」
「ひええ……!」
 あれよあれよという間に、肩をポンと押されて送り出される。振り返れば、どこに隠れたのか里見の姿はもうなかった。
「仕方ねえ……やるしかねえか」
 もとはと言えば自分の行いのせいだ。里見に頼りっぱなしというわけにもいくまい。ためらいつつも都倉は預かったイヤホン型の通信機を耳に押し込んだ。
「あー……こちら都倉。里見、聴こえる?」
『僕だ。問題ない、きみの姿も見えてる。尾行を開始してくれ』
「……りょーかい」
 例の青年が帰り支度に身を包んで月宮邸の門から出てくる。特に周囲を警戒している素振りは見られない。都倉は覚悟を決めてゆっくり深呼吸すると、肩の力を抜いた。
「……よし。行くか」
 ポケットに手を突っ込んで、何気なく一歩を踏み出す。二歩、三歩と進むうちに人の大きな流れに飲み込まれ、あっという間にありふれた人混みのありふれた一人になっていく。やがて自分とそれ以外の境界が曖昧になったとき、忍び寄るのは自分はきっと何かを変えられるような特別な存在ではないのだろう、という漠然とした失望だ。
『……きみ、気配を消すの上手いな』
 薄い布を一枚隔てたような無力感の向こうで、里見の声は鮮明に聞こえた。
「はは……俺もあんたが尾行下手クソなの、なんとなく分かった」
『む。きみを追うと決めていた僕でさえ一瞬見失ったぞ。何かコツがあるのか?』
「あー……あんたにはちょっと分かんない感覚かもな。もっと褒めてよ。そしたら教えてやっから」
『……例のバッグをひったくった時も、このように相手を物色していたんだな』
「調子に乗ってスミマセンでした。それはマジで反省してるって……」
 尾行を続けていくと、やがて道は細くなり人通りもまばらになってきた。それまで距離を保ちながらぼんやりと視界の隅に捉えていた青年が、とある建物の前で足を止める。オートロックとは無縁の昔ながらのアパートで、彼はどうやら郵便受けを確認しているらしかった。
「……ここか? 里見、どうする?」
『ああ、僕からも見えてる。表札を確認してみてくれ』
 指示通りスマホのカメラで拡大してみると、郵便受けには確かに奥森とある。
「ビンゴ……!」
 郵便物を手に持った青年がアパートの一室を開けようとドアノブに手を伸ばしたその瞬間を見計らって、都倉は滑り込んだ。
「あ~っと、こんばんは……ちょっといい?」
「あ、あなたは……昼間のお客様!? どうしてここに……?」
 驚く青年の背後から、いつの間に回り込んだのか里見が近づく。すっとその手から郵便物を抜き取り、宛名を見て涼しげに笑った。
「……奥森灯夜(おくもりとうや)だな? 少し話を聞かせてもらえないか」
 
 
 第一印象にすぎないが、奥森は真面目でおっとりしていてやや気弱な感じのする青年だった。歳の頃合いは犬飼と同じくらいだろうが、性格は真逆の印象を受ける。
「あ……粗茶ですが、どうぞ。あの、お昼はワインを零してしまって本当にすみません」
「ああいやいやほんと、お気遣いなく……」
「気を遣わせて悪いな。いただかせてもらおう……ん、美味いなこれ」
「あ……分かりますか? それ、実はお屋敷で余った茶葉を使わせてもらってるんです」
 ニコニコと屈託のない笑顔を向けられて、都倉は思わず里見をちらりと見た。里見も気づかれない程度に眉をひそめている。
「ええと、それでお二人は何の御用で僕のところに? 昼間のお詫びなら、今は手持ちがないのでまた後日に……」
「ああいやいや、全然そーいうんじゃなくて……」
 奥森はあのバッグを持っていた張本人だ。それは間違いない。現時点で月宮薫子を殺害した最有力候補であり、そうでないにしろ何らかの事情を知っている。事件の鍵を握る重要な存在のはずだが、彼から殺人に携わったような雰囲気はあまり感じられない。本人の印象から鑑みても、嘘や誤魔化しが得意なようには見えなかったし、ましてや人殺しができるような人物とは到底思えなかった。
「話というのは他でもない。きみが、月宮薫子は自殺だと言っていた件だ」
 しかし里見が切り出すと、奥森は途端に態度を硬くした。
「……僕から何が聞きたいんですか?」
「知っていると思うが、僕らは彼女が他殺だったと確信している。これを聞いても、きみの意見は変わらないか?」
「お嬢様は自殺されたんです。警察だってそう言っているし、そもそも何の根拠があってあなたたちはそんなことを言ってるんですか?」
 奥森からははっきりと拒絶の意が見てとれる。里見は軽く目を閉じると、少しの沈黙の後改めて正面から彼を見据えた。
「……少し話の切り口を変えようか。二日前の夕方、きみはひったくりに遭わなかったか?」
「えっ……なんでそのことを知って……!?」
 ここまで頑なな姿勢を崩さなかった奥森の態度がようやく揺らぐ。里見に肘をつつかれ、都倉はそろりと手を挙げた。
「あ……ごめん、俺。えっと、こうしたら分かるかな……」
 パーカーのフードを目深に被りくるりと後ろを向いて見せると、奥森はやっと都倉の正体に気づいたようだった。
「あなたは、あの時の……」
 すかさず里見が追い打ちをかける。
「彼がひったくったバッグの中には、月宮薫子殺害の際に使われた凶器や衣服が入っていた。それを裏付ける鑑定結果も出ている」
「……!」
「そしてそんな殺人の証拠物品を詰め込んだバッグを持ち歩いていたきみは、頑なに彼女は自殺だったと言い張っている。僕らが何を考えてここに来たのか、もう分かるな?」
 奥森は全てを察したように唇をぎゅっと噛んで俯いた。膝に置かれた拳がぶるぶると震えている。しかし十分な時間をかけてようやく彼が発した言葉は、都倉たちが期待したものではなかった。
「それでも……お嬢様は自殺です。僕はそう言い続けます」
「……振り出しに戻ったな」
 里見が深いため息をつく。都倉は遠慮がちに呟いた。
「……でも俺、おっくんが人を殺したとか、それに関わったとか、どうしても思えねえんだけど……」
「おっく……僕も彼が実行犯だとは思っていない。可能性としては、やはり真犯人を庇っている線が一番濃厚だろうな」
 里見が奥森の顔を覗き込む。
「それとも他に、ここまで証拠を突きつけられて自身も疑われているのに、それでもなお彼女の死因を自殺だとしておかなければならない理由でもあるのか?」
「……」
 奥森は何かに耐えるように沈黙を貫いている。里見はお手上げだと言わんばかりに、都倉に話を振った。
「……さて、ここでワトソン君の推理でも聞いてみるとするか」
「えっ!? 俺!? なんで!?」
「昔から探偵の推理が行き詰まった時は、助手の閃きに頼るってお約束だろ」
「そんなん急に言われても……こういうのは里見の担当じゃねえの?」
「滅茶苦茶でいい。下手な鉄砲も数撃ちゃ……っていうだろ」
「下手って決めつけんなし……」
 都倉はううむと頭を悩ませた。奥森灯夜は誰かを庇っている。とすると一体誰を庇っているのかという話だが、悲しいことに都倉にはこの手の知識が月曜九時のテレビドラマで得たものほどしかなかった。
「えっと……実は月宮ちゃんには秘密の恋人がいて、でも身分違いで結婚できないと知った彼がそれならばいっそと彼女を手にかけるけど、月宮ちゃんと親しかったおっくんは彼女の秘密を守るために何も言うことができない……とか」
 里見が白けた目を向けてくる。
「……きみ、そういうのの見過ぎだぞ」
「滅茶苦茶でいいって言ったの里見じゃん! あーもうやめやめ!」
 ぶんぶんと顔の前で両手を振りながら奥森の様子を窺えば、彼は凍りついたように目を見開いていた。
「え……うっそ、マジ? え、え、逆にどのへんが? どのへんが当たってたの?」
 奥森がぱっとお盆で顔を隠す。相変わらず表情に出やすいらしい。里見がお盆越しに声をかけた。
「……月宮薫子がきみと親しくしていたのは本当だろう。少しでも思うことがあるのなら、僅かな情報でも僕らに教えてくれないか」
「……」
 ゆるゆるとお盆を持った手が下がっていく。ゆっくりと時間をかけて膝の上にお盆を下ろした奥森は、やっと口を開いた。
「……お嬢様に、婚約者ではない秘密の恋人がいたのは確かです。志波遼一(しばりょういち)さん、月宮家がお世話になっている生命保険会社に勤めていらっしゃる方です」


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