おばあちゃんから聞いた戦時中の話

祖父からは戦争中の話(おそらく自分が戦争に行っていた時の話)は、大人になってから話してやると言われていた。

私が小学生の時にいなくなったけどな!

祖母からはちょいちょい聞いた。

祖母と近い年代の人から話もちょいちょい聞いた。

私が聞いた話って、辛そうなのに皆様楽しそうですねって話が多いです。

かといって、戦争時代辛かったと当時の日本軍や政府に対して怒りを持っている人の話を否定するつもりもないです。

私はその時代を生きていないし、その時代を生きていても、感じ方や考え方が違うのは当たり前だし。

祖母やそのほかの周辺の人たちは特に日本軍や政府に関して思うところはなく、のほほーんと暮らしてたようですね。


つかね、うちの祖母、金のないときにどうやりくりするかという話になると生き生きしすぎ。

絶対しんどいはずなのに、目をキラキラさせて話しすぎ。

もう食べ物がないときに食べ物を探すの生きがいになってたんじゃねぇのかというぐらい楽しすぎ。

うちはね、農家だったから、本来食い物に困るなんてことないはずなんですよ。

でも祖父の母親がね、祖母が気に入らなくて(嫁姑戦争ですな。これ祖母が可哀そうで仕方ないんだが、祖父の母親の気持ちもわかるのでそのうちnoteに書く。そして嫁姑戦争から本家対分家へとどんどん争いごとが)、食い物ほとんど分家に行くんですよ。

祖父がいればまだ祖父が守ってくれてたんですが、祖父がいなくなると本当やりたい放題と言いますか。

祖母が楽しそうに語るのは、田んぼのタニシ。

ヒルに吸い付かれ退治しながら、田んぼでタニシをとるのが楽しみだったとか。(タニシが食事です。

ヒルもタニシも知らなかった私はびっくりしましたね。

まずタニシを食べることもなんだけど、この辺に田んぼ、昼とかタニシが普通にいたんかい!?

っていう驚き。

のちにタニシには寄生虫がいるらしいことが発覚したらしいですが、飢え死にするか寄生虫で困るかどっちを選ぶかと言ったら、おらは寄生虫を選ぶ!

寄生虫で具合悪くなると決まったわけでもないしな!

そんな祖母は実際タニシの寄生虫で、体がどうにかなったことはないらしい。

で、学校の事業で聞いた話。

芋ばっかり食ってた人が多くて芋が食べられない人がいる。

芋の他には大根、玄米を嫌がる人はいる。

祖母「何言ってらのよ! 芋や大根、玄米なんてご馳走でねえか! おらは好きで!!」

……まあそりゃ、あなたは田んぼのタニシ食べてたからね。

うちの地域の戦前戦後を生きた人はこんな反応ですが、内地に来てからであったおばあちゃんには、いましたね。

今は健康食となってる玄米や五穀米を見るのも嫌だっていう人。

ただ芋を見たくもない人には出会ってないかな。出会ってみたいものだ。


あと、「ぜいたくは敵だ」とか言ってみんなモンペ(notモンスターペアレンツ)はいてたみたいなこと学校で習いましたが。

祖母曰く「おらたち農家だから、モンペはいて作業するけどな。町さ行けば皆スカートはいてるよ。俺も町さ行くときは化粧もした。身だしなみができるならちゃんとしねえとダメだべ」


うちは北海道の本当に田舎に住んでいたので、関東の人たちとかとは暮らしに違いが出ていたのかも?

この辺りも聞いてみたいけれど、今戦時中を生きていた人に出会うのが難しい。

10代のときとかはね、ヘルニアで入院して、そこで軍曹さんに出会ったこともある。

その人の話も面白かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?