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デジャヴュを感じた街
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「デジャヴュを感じた街」ー タイトルを見た方は、だいたい三通りの意見に分かれると思います。
1・大袈裟! どっかで写真でも見て、行ったことがあるって思い込んだんじゃないの?
2・私も感じたことがある。でも誰かに言うと頭が変なんじゃないかと思われるから言わない。
3・現実離れしすぎ。盛ってるね。この人(笑)
現実主義の私としては、自分が体験しなかったら1番の意見に賛成したんじゃないかと思います。
じゃあ、どこで既視感を感じたの? もったいぶらないで早く言っちゃって! と思う読者の方にお応えして、ちょっと遠い国のお話をしましょう。
その前に、私の日本での生活はというと、何度か引っ越したにもかかわらず、どこにも愛着を持てない根無し草のような生活でした。
幼少のころから、ここじゃないんだよねと思いながら、どこに行きたいのかも分からず、闇雲にどこかに行きたいと寂しく思ったことを記憶しています。
画一化されたものや、右へ倣えが当たりまえで、他人と同じでいようとする群れにいなければならないことへの疑問や居心地の悪さを感じ、海外に出るとほっとしたものです。
もちろん友人や知人をバカにしていたわけではありません。私は人はそれぞれの考えを持つのが当然だと思っていたので、多くの日本人はどうして想像力を働かして自分だけで行動することをしないのか不思議だったのです。
2011年頃から八年間、私は南仏に海外単身赴任をした夫と、日本で暮らす家族との間を行ったり来たりする生活を送りました。
私自身は独身の頃に旅行会社に勤めていたので、結構色々な国に行ったこともあり、年に数回南仏に滞在することに対して不安もなく、楽しみですらあったのです。
正直言って主人の赴任が決まるまで、南仏にはあまり興味はなかったし、知識もありませんでした。
ところが、現地入りして南仏の陽気な人々と話したり、燦々と降り注ぐ太陽の下で色鮮やかに咲き乱れる花や、それらを写し取ったような美しい色彩の服などを見て回るうちに、私は南仏が大好きになっていったのです。
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日差しが強く乾燥した気候は夏の日中は暑いけれど、日陰に入るとスッと温度が下がり、とても過ごしやすいことも気に入りました。
ニース、アンチーブ、カンヌなどの街をバスで訪ね、初めて見る珍しいものに私の気持ちもテンションアップ。からりとした気候と同じで、私の心の中には湿った気持ちは一切ありませんでした。そう、ある街を訪ねるまでは……。
鷹の巣村として知られるその街のバス停を降り、街の中心街に行くには長々と続く石畳の階段を上らなければなりません。隣同士がぴったりとくっついた建物は、まるで壁のよう。
細い路地を行くうちに、あれっ? どこかで見たことがあるぞ。気のせいかしら? と私は首を傾げました。
進むほどに何とも言えない懐かしさが胸に湧き出て、私は引っ張られるように足早に次の角まで歩きました。
ここを知っている!
この角を曲がった景色が、朧気に頭の中に浮かびました。
まさか……まさかね? 曲がった先に平らな壁じゃなくて石を積んだ家があったりしないよね?
恐る恐る足を踏み出した先にあったのは……
胸から喉に込み上げる熱い郷愁。涙が溢れ、私は思わずしゃくりあげていました。当然通行人が、怪訝な目で見ていきます。私は街に融けていくような感覚を味わいながら、必死で涙を堪えました。
ああ、私はここを探していたんだ。だからどこに行っても違うと感じたのだと悟りました。
ほんのわずかな記憶から、どうして自分が画一的なものが受け入れられないのか、なぜこんなにも芸術的なことに惹かれるのか腑に落ち、初めてアイデンティティーを感じることができたせいか、憑き物が落ちたようにどこかに行きたいという気持ちがなくなったのです。
主人は主人で日本に自分の居場所を作りたかったのか、家を買おうと言い出しました。それまでの私なら、一か所に落ち着かなくても日本に帰ってから探せばいいんじゃないと答えたと思います。でも、そのときは素直に頷きました。
私は一般人で、日本企業に勤める主人と結婚しているのだから、南仏に居続けることはできないと分かっていたからです。
ならば主人と私が、これからずっと暮せる住みよい場所を探してみよう。前向きな気持ちのまま、家探しがスタートしました。
条件1は、その辺一帯に全て同じような家が並んでいないこと。
差別化を図ろうとする住人が、車や持ち物で競そいあう原因になってしまうかもしれないし、逆に何をしても外観はご近所と変わらないからと諦めるうちに、生活も妥協しがちになり、住むこと自体がつまらなくなる危険が潜んでいそうだから。
せめて隣の家に違う外観を求めても、贅沢の内には入らないでしょう。
条件2は、スーパーとコンビニが歩いていける距離にあること。
条件3は、ワンストップショッピングできる大型店舗と大きな病院が、車で10分から15分以内の距離にあること。
一番心を惹かれたのは、ロータリー代わりの小さな広場を囲うように放射状に建てられた住宅でした。
石造り調の家もあれば、アーリーアメリカン形式のカバードポーチがあるかっこいい家もあり、全ての家の庭に洒落た花壇がある他に、ベンチブランコや風見鶏などそれぞれの家にあった趣向が凝らされていました。
しかも、共同で使えるアンティーク調の石造りの井戸も設けられていて、目を楽しませるだけでなく、花に水をやるときに節水や水道代を気にしなくていいという実用的なアイディアに、心をガシッと掴まれました。
この住宅地には、ストーリーがあったのです。
いいな~。見た瞬間にするりと出た感想。
この素晴らしい空間を維持するために、きっと住人たちは楽しみながら協力しあうに違いありません。
ただ、主人の会社に行くには乗り換えが何度も必要になるので、買うに至らなかったのですが、今でもあのコンセプトは素晴らしいと思っています。
どこでも住めるとしたら……というテーマに思いを巡らせたときに浮かんだのは、決まった場所ではありませんでした。
日本や海外に限らず、住人がアイディアを出し合いながら、住んでいる区域を演出し、暮らしを楽しめる場所があれば理想だと。そんなところに住んでみたいと思いました。
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