単なる日記です。

水木しげる氏が、
かつて赴いた戦地で部隊全滅から生き延びた際に言われた

「皆が死んだんだからお前もしね」、との言葉は、

かつて幼少の私が、終始ネグレクトだった実父に言われ続けた
「俺は戦争で食えなかったんだから、お前も食うな」と、
内容は全くもって雲泥ではあるが、
その精神基盤がひどく重なった。

水木しげる著『水木しげるの戦場』に際して。

本日は911。
当時成人の大抵が、
その当日の自分の記憶が刻まれただろう。
私は正にその時、
かつて人気番組「11PM」にもレギュラー出演していた美人ママの店でホステス勤めをしており、
階下の他の仲良いママの店へ出向いていた筈のそのママが、
とても慌てた顔をして「戦争が始まる!」と店に駆け込んで来た事、
また、
常連客の証券マンに心配顔でママが色々訊いていたが、既にへべれけだった証券マンは「大丈夫、全然大丈夫、」を繰り返していた事、
そして
店から帰宅し、TVを点けた時、
当時はまだ筑紫哲也氏がキャスターだった「NEWS23」のラストのほんの一瞬に、
2棟の貿易センタービルから煙が流れる映像を見て、
あらためてママの話が真実だと確認した事を覚えている。
帰路の駅の、いつもの猥雑で安全な静けさと、
その映像の対比に、心が一瞬、困惑でざわついた。

つい先日、動画で、
911の現場の多くの実際のドキュメンタリー映像を偶々観たが、
当時の日本では、
あそこまで詳細な映像や情報は聞こえなかった。

あらためて、本当に地獄絵図だったのだと、
その全ての被害者や現場にいた人々の思いに馳せた。
生存者はよくぞ生き延びてくれたと思う。
旅客機搭乗者や消防警察の勇気に心する。

私はその5年前の小康状態にNYへ行こうとしたのだが、
当時はまだパスポート取得に一カ月間を要した時代だったがゆえに、そのタイミングを逸していた。
ジャズを学ぶつもりだった。
貿易センタービルのある街並みを、とうとう知らぬままとなった。

平和とは、隣人からであるが、
未だそれを理解せぬ大の大人の上層が、多すぎる。
そうした輩ほどが、
上層マウントという小さな戦争を
小さな所で愚かにも未だ日々勃発させている。

2023.9.11筆

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