21世紀に引っ越した先で「部落」発言を受けた、私の体験談。差別は「二段階の払拭」がなされてこその「解消」である。

私は21世紀になり、ある遠方へ引っ越しをしました。
当時はまだネット情報も殆どなく、
私は、自身の難病を診られる医師を求めての上京でしたが、
「取り敢えず上京して探す」他なかった時期でした。

其所は、米軍住宅がすぐ隣にあり、
私は勤め始めた頃、
最寄のバス停を降り、自宅まで歩く道々に、
よく、大きな音楽と共に轟音でその細道を駆け抜けるアメリカンな幅広の自動車に、危ない思いをしたものでした。

その際、おそらくその地元民と思われる方から、
「あれに轢かれても補償されないから、気を付けて、」と言われ、
あぁ、そうか、と地域にある事情の一端を知ることになりました。
また私は、
そのように咄嗟に私に気遣い教えて下さった、地元民の方々の心を、とても有り難く感じ、逆に心がホカホカもしました。

その後、ある所へ勤めた時、
そこで出会った人に不意に住む地域を訊かれ、
その名を伝えたところ、
「あぁ、○○部落だね、」と普通に言われました。
このような言い方ではありましたが、
この発言者本人は、私に常に好意的な方で、
その職場全体から見ても、職場の良心的な存在で、
決して私を揶揄する意図で発したものではありませんでしたが、
私は、あぁ、以前は部落とされていた、もしくは云われて来た地域なのだな、とそこで知りました。
けれども、
そこに暮らす方々の優しさや暮らす子供たちの輝きを知る私としては、
なんとも、腑に落ちない感覚をいだくことになりました。

その地域の人々は既に日々気にはしておらず、
実際の昔のような差別は表にはなくても、
前述の発言のように、
恐らく代々継がれてきた差別の「記憶と心」は、
地域外には、残っていた訳です。

それは、昔のような強い見下し等はなくとも、
その「記憶と心」が、
寧ろ、見下してきた側の代々に、残っていたわけです。

こうした件の場合、
見下された側には、
その記憶を忘れて優しく生きる地域と、
忘れる過程になれずに、鬱屈の思いを奥底に秘め生きていらっしゃる地域に、
もしかしたら分かれているのかも知れません。
それが、どのような差によりそこに至ったのかも、部外者の今の私には、分かりかねますが、

見下してきた側は、
その「見下していた記憶」を、〝黒歴史〟として、
己の悪行をとっとと都合よく忘れても、
その心の奥には、
それを悪魔的心理の勲章のように、
「君臨」していたりという事が、
おうおうにあります。

私が子供の頃、
かつての音声障害や聴覚障害者に対しての差別用語がまだ比較的普通に横行していたのですが、
その事実を知るまで、子供の私がこれらの単語について、
普通の単語だと思っていたように、
前述の「○○部落」もつい口外されたのではないかな、と
発言者の口ぶりから、私は思いました。
それでも、
もし、これを地元の方が聞いていたなら、
一瞬かなしい気持ちにはなったかと思います。

noteを散策していたら、
この「部落」について、
「もう部落差別はされていない、部落出身だから結婚が破談になるとか、無い、
だから、国や地域が部落差別を語る事はもはや間違いだ」という主張の投稿を偶々見掛けたのですが、

私は、自身の難病体験からも云える事なのですが、
「実際の差別」と
もう一つ「心の差別」というものが、
差別には、存在するということを、
この著者は、理解していないのではないか、と
一読で率直に思ったのです。

この十数年問題となっている「ネット中傷」の問題にしても、
つい最近も、
「実際の問題」自体は片付く方向に向かい始めたにもかかわらず、
その心のトラウマや、未だある心ない匿名の中傷により、自死されてしまった方が、
大手芸能事務所の元関係者にもおられました。

心までも侵食した問題については、
「実際の害された問題」と、
もう一つ、
「心を害された問題」が解決に至らぬ限りは、
「真に解決した」状態ではないのです。

上記の「部落差別はもう無い、私は部落で差別行為がない事実を調べた」と主張していた方は、
もう一歩踏み込んで事を見つめる視点を、
忘れておられたのではないでしょうか。

「心の事まで考えていたらいつまでも終わらない」と、もしかしたらその著者や同意者はおっしゃるかもしれませんが、
実際の部落差別が、
いったい何年間にわたり続いてきた事なのかを考えられる人ならば、
そのような反論を唱える加害側の無責任さを、
気付かぬ筈はありません。
(〝スルー〟した人達も、実際には、加害側同様の行為なのです。)

又、個人的には、
この主張をしていらした方が、
長年マスコミに携わって来られた方との経歴を見て、
心がキュッと、かなしくなりました。

私個人の考えかも知れませんが、
マスコミというのは、いわゆるお上と、末端の民との「懸け橋」「鎹」であるべき存在でもあるとの思いがありましたので、
その方は既に退職組であるとの事ですが、
「何かを置き忘れて来た日本」感が漂う現状は、
こうした目線の足りなかった「懸け橋」も一因だったのではないか?、と
思いを巡らす事にもなりました。。

また現在の政府にも、
これ同様の「目線の足りなさ」が、
未だ目立っているかと思います。

昨今は「風(水瓶座)の時代」と巷に聞きますが、
占星術と人と時事を眺めて40年超の私の見解では、
この「水瓶座の時代」において、
〝未熟系〟の人は「IQマウントでの権力保持で乗り切ろう」と言動し、
〝成熟系〟の人は「EQ発揮で協力と助け合い」に進むと考えます。

AIに人間が凌駕されかねない今、
人間が人間たる根幹となるのは、
点数でもなく知識以上に、心です。

もっと心に深く目を向けた考察で、政策にも行き着くべき時代ではないかと、
私は考えます。

又それは、巷の「いっちょかみ心理学」では、
足りないと、私は思います。

2023.11.16筆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?