ロンドンという地で得た天啓 ‐『お前、人生かけて続けられるか?』
「なぜ、ここに来たのだろう」
「これだけの資金をかけて、こんな時期にここまで来て、一体僕は何を得て帰るのか」
2割楽しみ、8割ビビり散らかしてやってきたロンドンへの旅路をまさに終えようとしている今、改めて、次の展示へ向けて、今後の自分の藝術家人生へ向けて、書き置こうと思う。
すべて笑って、アホやったけど、行ってよかったよなぁって、そう思える日々だったことに、1ミリも疑いはないのでね。
1. 「描かなければいけない」という鎖からの解放と「空間」への渇望
2021.08.13. at Saatchi Gallery
展示一発目は、イギリス最高峰のコレクターチャールズ・サーチ氏のギャラリーにて。
初の海外での展示の場でビビり散らかす僕の前に現れた僕の目の前に現れたのは、ひとつのインスタレーション作品。
Mr. Alexis Bamforth手がける、ひとつの空間丸ごと使った作品。
ゾワゾワきました。目から、耳から、肌から、一瞬で全て悟ったのです。
「今日、残りの作品全部で束になってかかっても、このひとつの作品が生み出す空間にはきっと勝てない」
僕が「藝術」というものを通して目指す至上に、自分よりも確実に近いものが、そこにありました。
静かで深く、それでいて私たちとの相互作用の中で体験が成立し、確かに私たちの感情に何かを呼び起こす、まさに演劇的(theatrical)で、没入的(immersive)で、経験的(experimental)な作品空間に、文字通り僕は、ひと目惚れしたのです。
僕が創りたいのは、こんな体験で、空間である。わかってはいた気がする。それはきっと、絵という平面だけにとどまっていてはたどり着けないということも。
三次元的で日常的な構成の中で、それは非常にインタラクティブに、確かに私たちの行動様式、あるいは身体の図式に変化をもたらす。
それはまさに、概念や機能だけを遺したアートへと向かっていく、その過程のど真ん中にある、そんな感覚です。
ようやく「絵だけにこだわることをやめよう」という踏ん切りがつきました。
そして、自分が創りたいのは「人と相互に作用する生きた空間であり、体験である」ということにも確信がもてました。
どれだけコストをかけようが、時間をかけようが、やり方がわからなかろうが、自分にできるベストの形で完成させる道を選ばなければいけない。
まだまだ、追及していくしかできないようです。しばらくは自分の作品だけの、純粋な空間づくりにこだわっていきたいね。
ちなみに上記のインスタレーションを制作したAlexisには、後日会って色々話をしました。お酒も一緒に飲んでくれました。素晴らしいアーティストは、やはりまずどこまでも素敵な人です。また、成長して帰ってきます。
2. 「投資としてのアート」から再考する「継続すること」
2021.08.17-21. at FOLD Gallery
今回「コレクター」と呼ばれる類の方々に、作品を購入していただくことができました。1年と3か月のアーティスト業の中で初めての経験です。
アートのコレクターとはそのままつまり、アート作品を、アーティストのサポートや投資等を目的に、収集し所蔵したり、あるいはその先で売買を行う人達のことです。そして、彼らのいるアートマーケットにおいて大切なことのひとつが、その作品に投資価値があるかどうか、ということです。
株式投資と置き換えてみてもいいでしょう。最もシンプルなところだけで言えば、先がある会社には投資したくなる。価値が「伸びる」ところに、あるいは信頼できるところに投資をする。決して損をするためにお金をかけるわけではありませんからね。
ではその「投資価値」はどこからくるのか。
様々な要因がある中で、パリのHonglee代表、Hongが話してくれたのは次のことでした。
「特に新人の作家たちに対しては、コレクター達は『このアーティストはこの先も制作を続けていくのか?』ということをとても重視します。もちろんその作品自体の美や、美術史的な価値も大切だけれど、何より、そのアーティストが『途中で制作をやめてしまう』のならば、それ以上作品に価値はつくことは絶対にありえないから。
逆に言えば、基本的にアートワールドで『やり続けていける人』はごく少数で、でも、やり続けている人の作品の価値は必ず上がっていく、ということでもあるんです。だからコレクター達は、いつも私たちに『このアーティストの今後の計画は?』『お金周りは大丈夫か?』とか、将来のことを尋ねてくることが多いんです。この人はやり続けていきそうだ、ということそれ自体が作品の信頼性であり、価値になるんです。」
はぁなるほど、その通りだ。重たいお言葉である。
今のご時世、自己啓発本なんかにだいたい書いてある薄っぺらい「やり続けろ」「続けられるのは〇人に1人だ」とかいう文言が大嫌いなひねくれクソ野郎な僕も、「やり続ける」ということを、もう一度信じてみようかと、そう思えました。
何よりコレクターという人種に、最終的に「買う」という選択をしてもらうことができたことは、とても大きな一歩だったように思います。小さいながらに、僕の中にそれだけの未来を視てもらったということですから。
決してそのために創るのではない、それは、違えてはならない。でも、目指していいもののひとつに、「アートワールド」が確かに届くところに、みえてきたようです。
3. 終わりにかえて ‐ ロンドンなピーポーとジャパンへ、ありったけの愛をこめて
「お前、もっとるもん全部賭けて、人生賭けて、やっとんか?」
そう問い直された、ロンドンはそんな日々でした。そうありたい、ではなく、そうある自分が作品を創り続けていくべきだ、と。
藝術は、美しい。おそらく我々がそれに魅せられ、追い求める理由はそれで充分で、その可能性に焦がれ、決して自分にしか生み出すことのできない創造物を、他でもなく世界へ提供し続ける、実践し続けるのが、藝術家たる者の役割に他ならないのだと思います。
僕は残念ながら、特別に藝術への才がある人間ではないでしょう。数多いる天才たちの中で、凡が生き残るために、幸いにも僕に与えられた才は、「勉強する力」、ただそれくらいだと思っています。それさえあればなんでもできると思ってるけどね!才はなくとも知恵と心とを兼ね備え、どこまでも丁寧に磨き、実践していくだけなのだと思います。
だいたいいつも、学校の勉強も何もかも、最初はビリっけつから始まって、後半急に上の方まで駆け上がる、みたいな人生だったのでね。いつだって、下剋上です。大事なスタンスは早々変わりません。
いやはやそれにしても本当に、一緒に暮らしたCarmenとDaniel、Hongleeの皆さんやAlexis、そして足を運んでくださったたくさんの方のおかげで、無事にここまで終えられたわけでございました。
1人だったら、ずっとおびえながら展示の日を待っていたと思います。感謝してもしきれないCarmenとDaniel。ポートワインが宝物になりました。みんな、ロンドン行くときはまずCarmenの家に泊まりに行ってくれよな。
本当に、本当にベストなタイミングでロンドンという場所で展示ができたと思います。たくさんの素晴らしい体験と知見を得て帰ってくることができました。日本からもたくさん、たくさん支えてもらいました。感謝しかありません。ありがとうございました。次、楽しみにしててください。
てことで、書き終えたことだし、ぼちぼちまた、次の個展の中身でも考えていきますかなぁ。次のお知らせは来月末くらいかな。東京にて、会いましょう。
2021/08/25.
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