見出し画像

【同調圧力は日本の宿痾です。】鴻上尚史さんの言葉 

私は長い間スウェーデンに住んでいました。
幼い頃から周囲と異なると言われてきた私が、日本で感じていた違和感を鴻上さんが的確に表現してくださいました。

”宿痾(しゅくあ)”とは”長い間治らない病気”という意味です。

鴻上さんはさらに、”自尊意識の低さ”も日本人の”宿痾”だとおっしゃっています。

「同調」が常に悪いわけではありません。
例えば、東日本大震災の際には略奪が起こらず、日本人の礼儀正しさや規則を守る姿勢がチームワークを高めるなど、良い影響をもたらすこともあります。

問題はその程度だと思います。

同調圧力のために、異なる意見を持っていても、多数派に同意してしまうことがあります。
「周囲からの非難」「仲間外れにされるかもしれない」という恐れから、他人と異なる行動を取ることに躊躇し、結果として自分の意見を述べることが難しくなり、自尊心の低下に繋がると考えられます。

誤解を恐れずに言えば、SNSなどで同調する人々に囲まれていると、居心地が良いと感じるのでしょうね。(ただし、いかなる状況でも誹謗中傷は許されません。)

日本人は「和」を重んじる国民性を持っています。
「和を以て貴しとなす」という言葉は、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に記されています。
これは、「礼の用は和を貴しと為す」という論語の言葉を引用したものです。

しかし、現代の私たち日本人は、「和」と「同」を混同しているのではないでしょうか。
孔子は『論語』で、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と述べ、和と同を明確に区別しています。
これは、「立派な人は意見が合えば他人と協力するが、無理に同意することはしない。一方で、考えが浅い人は他人に安易に同意するが、うまく協力することはできない」という意味です。
「和」は、多様な意見の中で調和を求めること。
「同」は、みんなの意見を一致させること。

このように、「和」と「同」にははっきりとした違いがあります。

「和」を実現するためには、個々人がそれぞれの異なる力を発揮することが重要だと考えます。
また、自分以外の人々が異なる考えや能力を持っていると認め、他者を排除せずに自らの意見を述べられる社会であってほしいと願っています。

日本人が持つ良い特性を保ちながら、「同調圧力」を減らすことが、低迷する日本を再興させるために必要な事だと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?