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新型コロナ 歯科診療延期はどれだけの命を救い、奪ったか

5月25日をもって全国で緊急事態宣言が解除されました。
まだまだ新型コロナ完全終息とはいきませんが、まず第一波は収まったと言って良いと思います。
少しずつではありますが以前の生活が戻ってきました。

さて、時間は巻き戻って、感染が広がり始めた4月6日。この日、厚生労働省は日本歯科医師会に対して「緊急性がないと考えられる治療については延期することなども考慮する」よう事務連絡をしました 1)。日本歯科医師会から各歯科医師会、そして各歯科医療機関へと同様に連絡。
報道でも「歯医者はあぶない!」とリスクを煽る放送が多発しました。
結果、大学病院はほとんどの歯科診療を見合わせ、地域の歯科診療所でも少なくない医院が一部診療を延期し始めました。

もちろん新型コロナに対し必要なアクションは取るべきです。
しかし一方でそのアクションがどれだけの効果を生むのか、どれだけのことが犠牲になるのかについては、きちんと検討され検証されるべきでしょう。
なぜなら、1を救うために100を失うようなことがあれば本末転倒だからです。ましてや、歯科診療の延期というアクションは、間違いなく健康を損ない未来の命を奪う、極めてハイリスクなアクションですからなおさらでしょう。

残念なことに、今回厚生労働省の担当者は歯科診療延期によるリスクを考慮せず理解もしないまま「患者さんとの距離が近いから」という理由だけで診療を延期するよう連絡してしまった 2) そうです。
であれば、なおのこと、これまでの結果を整理し検証し一定の結論を出しておかなければなりません。その知見を生かすことで、今後訪れるかもしれない新型コロナ第二波や類似の状況において、より適切なアクションを取れるようになるからです。

この記事では「今回の歯科診療延期で、どれだけの命が救われ、奪われたのか」定量的に検証しています。

計算過程が長いので、根拠やモデルが気になる方(歯科医療従事者の方など)以外は、計算過程を飛ばして目次の【結論1】からご覧になるのがオススメです。

計算1-1 今回の診療延期における推定:どれだけの命を救ったか

診療延期でどれだけの命を救ったか。計算方法としては、まず[感染によるすべての死亡者数]に対して、[歯科医院での受診によって感染した者の割合]をかけます。そして[診療延期がなければ受診予定だったすべての者]のうち[診療延期した者]の占める割合を使って、救われた数を推定します。
例えば1000人の死亡者がおり、全体の0.6%が歯科医院受診によって感染を起こしていたのであれば、6人が歯科医院受診による死亡者といえます。また、もともと新型コロナの影響がなければ10人が受診するつもりだったところ、4人が延期したのであれば、6/(10-4)*4で、救われた人数は4人と考えます。

さて実際の数値ですが、[感染によるすべての死亡者数]は830人(2020/5/25の厚労省データ)。3)
[歯科医院での受診によって感染した者の割合]についてはこれまでの感染者数がゼロなので0%。4)
[診療延期した者の割合]については例えば協会けんぽのデータ 5) などから推定することができますが、これはデータの反映が数ヶ月先になってしまい検証が遅くなってしまうため、ここでは当院や周りの先生方の状況を見聞きしたイメージから、仮に「5割が延期した」と仮定します。おそらく実際は3割~7割の間と思われるのでそう的外れではないはずです。また、実は延期した割合が増えた場合、命が救われた数が増えるだけでなく奪われた数も増えるため、最終的な判断に大きな影響はありません。

計算結果としては…当然ですが命が救われた数は0人ということになります。歯科医院受診での感染者がゼロであることから、順当に考えると感染割合がゼロ%となってしまうからですね。


次に、今回のデータから有意水準5%で[歯科医院での受診によって感染した者の割合]を推定することもできるので、参考のためこちらも計算してみましょう。
本来であれば上下両方の数値を推定するところですが、下の数値は当然0なので、上の数値だけ計算します。
この場合、感染者全員の感染経路が特定できているわけではないことから、本来であれば、特定できた者の割合を乗じた上で推定する必要があります。しかし、筆者が調べた限りでは都道府県に限定した中途半端なデータ 6) しか見つかりませんでした。このデータでは感染経路不明な者の割合は0%や24%などになっていますが、ピーク時には半分程度が不明だったと聞いたことがあるので、めいっぱい歯科診療が不利になるよう今回は「50%が感染経路不明だった」と仮定しましょう。
累計感染者数は16,404人(2020/5/25の厚労省データ)3) なので、信頼度95%で[歯科医院での受診によって感染した者の割合]は0.037%以下となります。これに死亡者数をかけ、延期した者の割合を考慮すると、命が救われた数は0.3人以下(信頼度95%)となります。


なお、今回は診療延期と同時に診療内容の選別による感染症蔓延防止策(唾液が飛散する診療を極力控えるなど)が一部で実施されていることから、全く診療延期しない場合と比べ、感染確率が下がっている可能性もあります。しかし仮にその効果が十分にあったとしても、順当な推定である0人は0人のままですし、信頼度95%の「0.3人以下」も「1.0人以下」になる程度がせいぜいと考えると、大勢に影響はないでしょう。

計算1-2 今回の診療延期における推定:どれだけの命を奪ったか

診療延期でどれだけの命を奪ったか。これは非常に推定が難しく、様々なモデルや数値が採用できると思います。
今回は保守的に(少なめに)計算する方針で、最も不要不急と言われるメンテナンス(いわゆる定期検診)のみが延期されたと仮定しました。

メンテナンスの延期が影響を与えるのは長期的な喪失歯の増加です。7)
またこの喪失歯の増加はシステマティックレビューにより死亡率を1.1~2.7倍に増加させるとされている 7) ので、今回は上限と下限の平均値である死亡率1.9倍を採用しました。
今回厚生労働省から事務連絡があったのは4月6日だった 1) ので、緊急事態宣言が解除 8) された5月25日までの49日間、メンテナンスが延期されたと考えます。
日本の人口は1億2590万人で 9)、「1日に歯科診療を受ける者の数」は136万3400人 10) なので、ある1日に歯科診療を受ける者の割合は92人に1人。このうち「5割が延期した」と仮定しているので、184人に1人は49日間メンテナンスが延期され、次の184人に1人は48日間延期、次は47日間、46日間、45、44、43…という感じで影響がでた期間を積分して考えます。

また、少なくとも4週間あれば例えば歯周病が悪化するのに十分な期間である 11) ことから、今回は十分に悪影響がでるだけの期間延長されたものとみなし、計算式は単純化して、
[n日間の延期が健康に与える影響] = [死ぬまで延期した場合に健康に与える影響] x [n日間] ÷ [余命]
と考えます。
例えば余命が40年の方が10年間メンテナンスを延期した場合は、死亡率1.9倍への増加のうち4分の1が反映され、死亡率1.225倍と考えます。

この死亡率増加が残りの余命のうちずっと続くと考えると、これらによる死亡者数増加は、
[全体の年間死亡者数] x [死亡率0.9倍] x [1日の受診者数の割合である92分の1を延長期間49日間で積分] ÷ [365日] ÷ [余命] x [余命] x [診療延期された者の割合]
で与えられると考られます。
年間死亡者数は2019年の推計で137万6000人 12) なので、命が奪われた数は少なくとも2万2500人となります。

現実には緊急事態宣言解除直後すぐに診療が受けられるわけではないですし、現場では、根治や重度歯周病の治療など今すぐ治療しないと歯の喪失につながるリスクの高い場合や、入れ歯やインプラントといった欠損補綴など、「診療しないと健康寿命に深刻な影響が生じる」ケースでさえ患者さんが自己判断で延期したり、大学病院が受け入れ拒否したりする(痛みがあるなどの主訴がなければ診療対象外となったため)などの事態が発生していました。
ですので、実際の数はこの数倍~数十倍程度と思われますが、推定が難しいのでここでは「少なくともこれだけはいる」という推定にとどめておきます。

計算2-1 新型コロナ対策なし、感染が広く蔓延した場合:どれだけの命が救われるか

次に、新型コロナに対して全く対策が行われず、感染が日本中に広く蔓延した場合を考えてみましょう。今後類似の感染症が蔓延してしまった場合や、現在新型コロナ感染蔓延の最中にある一部の国でのアクション決定の目安になります。

厚生労働省のクラスター対策班 西浦教授の推定によると、全く対策をしなかった場合の死亡者数は約41万8000人ということになる 13) ので、この数値をベースに「計算1-1」同様の計算をすると、診療延期によって命が救われる数は順当に計算して0人、信頼度95%で153人以下となります。

計算2-2 新型コロナ対策なし、感染が広く蔓延した場合:どれだけの命が奪われるか

一方で感染が日本中に広く蔓延した際、診療延期により命が奪われた数ですが、ここでは延期期間の修正が必要となります。広く蔓延している場合には終息までの時間がかかるからです。
これについては米ハーバード大学の2年間という数値 14) を採用して計算しました。
ただし今回は延期が長期にわたることから、全期間で積分するのではなく、一般的なメンテナンス間隔である3ヶ月間だけで積分する(730~639日間延期の人だけで積分する)極めて保守的なモデルで計算することにしました。

この場合、命が奪われる数は少なくとも114万人です。

なお、今回採用した2年間という数値は断続的なロックダウンを繰り返すことで終息を早めているので、実際にはこれよりはるかに長くなる=はるかに多くの方が診療延期により命が奪われると考えるべきでしょう。

(参考)計算3-1 新型コロナ対策なし、感染が広く蔓延した場合で、なおかつ歯科診療による感染リスクが極めて高いと仮定した場合:どれだけの命が救われるか

これは参考ですが、さらに「歯科診療による感染リスクが極めて高い」と仮定した場合の計算結果についても記載しておきます。
実は、感染が広がり始めた早期の段階、歯科医院でどれだけの院内感染が発生するかまだ全く分からない段階で計算した、ワーストケースの数値でもあります。

まず全体の死亡者数は先程と同じ41万8000人を採用。13)
[1日の受診者数の割合]が92人に1人であることから、単純にこの92人に1人が歯科診療受診による感染者と考えます。
つまり、「歯科診療を受けた日には他からの感染は一切なく、歯科医院でのみ感染が起きる」と歯科診療が極めて不利になる仮定をするわけです。

結論としては、診療延期により命が救われる数は4,530人でした。

この場合も米ハーバード大学の2年間という診療延期で推定しますので、反対に命が奪われる数は少なくとも114万と実に250倍超という数値になります。
感染が広がる早期の段階から「たとえワーストケースでも、あらゆる歯科診療は延期すべきでない」という結論が導けたことが分かります。

【結論1】今回の診療延期における推定:どれだけの命を救い、奪ったか

ではあらためてまとめ。結論です。

今回の歯科診療延期で
命が救われたのは 0~0.3人
命が奪われたのは 
2万2500人以上
でした。

【補足】
命が救われた数 0人:順当な推定
命が救われた数 0.3人:信頼度95%でこの数以下
命が奪われた数 2万2500人:延期した診療はメンテナンス(いわゆる定期検診)のみ、診療延期していた患者さんは緊急事態宣言解除直後に全員が一日で受診できるなど、かなり少なく見積もった場合

厚生労働省が今回このような連絡をし、歯科医師会が追随し、不適切な報道も流され続け、それにより歯科医院で診療が延期され、あるいは患者さん自身が自己判断で診療を延期した結果、命が救われた人はただの1人もおらず、一方で少なくとも2万人以上の命が奪われることになりました。

ちなみにですが、この非常事態宣言の期間中に2万人もの方が亡くなったという意味ではなく(この期間中に診療延期が原因で亡くなった方も一部いたでしょうが)、今回健康が損なわれたことによって今後何年にも渡って少しずつ死亡者数が増加するということです。

【結論2】新型コロナ対策なし、感染が広く蔓延した場合:どれだけの命を救われ、奪われるか

次に、新型コロナに対して全く対策が取られず日本中に感染が広がってしまったワーストケースでの歯科診療延期です。
今後新たな感染症が流行した場合や、現在新型コロナ感染蔓延の最中にある一部の国でのアクション決定の目安となるでしょう。

歯科診療延期で
命が救われるのは 0~153人
命が奪われるのは 
114万人以上
でした。

【補足】
命が救われる数 0人:順当な推定
命が救われる数 153人:信頼度95%でこの数以下
命が奪われる数 114万人:延期する診療はメンテナンス(いわゆる定期検診)のみ、メンテナンス間隔が3ヶ月の優良な患者さんしかいない、診療延期していた患者さんは制限解除直後に全員が一日で受診できる、「全く対策を取らなかった場合に終息までかかる期間」ではなく「断続的なロックダウンを繰り返した場合に終息までかかる期間」だけ診療が延期されると仮定するなど、かなり少なく見積もった場合

残念ながら、診療を延期することで先ほど以上に多く、実に114万人という膨大な数の命が余計に奪われることになりました。
なぜこうなったかというと、感染が広がった場合は終息までにかかる時間が延びるため、歯科診療延期による影響がより大きくなるからです(それでも短めに見積もってはいますが)。

今後の方針

いずれのケースでも診療延期によって「命が奪われる数」は「命が救われる数」に比べ、桁違いに多いという結果でした。
このことから、あらゆる歯科診療は延期すべきでないといえます。

しかしながら、たとえ診療延期が多くの人の命を奪うものであっても、「万一新型コロナウイルスの感染が発生すれば非難されるが、歯科診療を延期してたくさんの人が死んでもほとんど非難されない」のが実情です。
そう考えると、厚生労働省や日本歯科医師会、大学病院といった機関は、今後も患者さんの命より自らの身を守ることを優先し、同じく診療延期の方針を打ち出す可能性が高いでしょう。

しかし、最も患者さんに近い現場の歯科医院さえ診療を延期しなければ、大多数の患者さんは救うことができます。
愛知県歯科医師会や神奈川県歯科医師会、兵庫県保険医協会など、診療延期に対してきちんと否定的なスタンスを取る団体もあります。15) 16) 17)
各歯科医院が、厚労省や日本歯科医師会に盲目的に従いたくなるのも分かりますし、ときには自らの保身を考えたくなることもあるでしょう。でも、できることなら、患者さんの命を第一に考え、診療を継続できると良いですね。

おまけ:歯科医療従事者への感染が怖い?

歯科医院において、患者さんへの感染リスクが極めて低いことは明白です。さすがにこれを理解していない歯科医療従事者はほぼいないようです。
しかし、自分達への感染を恐れ、それを理由に診療を控えている歯科医院も一部にあるようです。
でも、ちょっと考えてみてほしいのですが、空気感染ならまだしも飛沫感染しかしない(はずの)感染症って、きちんとスタンダードプレコーション(標準感染予防策)をやっている医院でそんなに怖いでしょうか?

実際、私が把握する限り、患者さん→歯科医療従事者 の感染はたったの1人だけ 18)。歯科医師が約13万人、歯科衛生士が約10万人いる中で、たったの1人です。23万分の1。(スタッフ間で感染したケースもありました 19) が、これは単にリモートワークできない他の仕事と同等のリスクが当たり前にあった、と理解すれば十分でしょう)
しかも20~40代の致死率は0.1%程度と言われている 20) わけですから、死んでしまう確率まで考えたら、2億3000万分の1です。

歯科医療従事者は、B型肝炎やHIVなど「ものすごい数の感染者がいるから来院する確率も高くて、万一感染したら一生治らない上に、致死率もメチャクチャ高い」感染症に感染するリスクに日々さらされています。
それを考えたら(そりゃそっちの方が感染しにくいにしても)、新型コロナは誤差レベルの脅威でしかないという気がします。
患者さんやスタッフへのアピールのため感染予防策を強化するのは悪くないでしょう。でも、少なくとも診療をためらうほどのリスクでは決してないと思うのですが、どうでしょうか?

1) 『歯科医療機関における新型コロナウイルスの感染拡大防止のための院内感染対策について』厚生労働省医政局歯科保健課
2) 『「テレワークで暇だから」に怒り 歯科医院が向き合う「0メートル」のリスク』gooニュース: 厚労省の担当者が言う。「外国メディアが歯科医院で感染リスクが高いなどと指摘していますが、厚労省としてそのエビデンスを承知しているわけではありません。ただ、一般的に患者さんと非常に近い距離にあるのは間違いなく、注意を促したところです」
3) 『新型コロナウイルス感染症に関する報道発表資料(発生状況、国内の患者発生、海外の状況、その他)』厚生労働省
4) 筆者が把握する限り。もし他に情報あればご教示ください
5) 『協会けんぽ月報(一般分)』全国健康保険協会
6) 『新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(2020/5/14)』新型コロナウイルス感染症対策専門家会議
7) 『健康長寿社会に寄与する歯科医療・口腔保健のエビデンス 2015』日本歯科医師会
8) 『新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見』
9) 『人口推計 令和2年5月1日現在(概算値)』総務省統計局
10) 『歯科医療(その1)平成29年5月31日』中央社会保険医療協議会
11) Magnusson I, et al.: Journal of Clinical Periodontology, John Wiley & Sons A/S. Published by John Wiley & Sons Ltd, 11: 193-207, 1984
12) 『令和元年(2019)人口動態統計の年間推計』厚生労働省
13) 『「対策ゼロなら40万人死亡」 厚労省クラスター対策班』日経新聞
14) 『「外出自粛、22年まで必要」 米ハーバード大が予測』朝日新聞
15) 『愛知県歯科医師会からのお知らせ』愛知県歯科医師会
16) 『神奈川県歯科医師会からの緊急メッセージ』神奈川県歯科医師会
17) 『緊急性のない歯科治療の延期を促す厚生労働省事務連絡は撤回を』兵庫県保険医協会
18) 『新型コロナウイルス感染症患者の発生について(県内第27例目)【令和2年4月17日発表】』三重県庁
19) 『滋賀県で12人が新型コロナ感染、歯科医院でクラスター』朝日新聞デジタル
20) 『症状、予防、経過と治療… 新型コロナウイルス感染症とは? 現時点で分かっていること(5月1日時点)』忽那賢志 | 感染症専門医 Yahoo!ニュース

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