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30歳、いま思うこと

寒い。朝は特に。昨夜から日本列島を覆いつくす強い寒波のせいで、都内にいるのに雪国にいるのかと勘違いしてしまう。最近買った無印良品の羽毛布団が軽くて温かいおかげで、ぎりぎり寒さを乗り越えられそうだ。

朝9時頃にベッドから起き上がると、銅之薬缶に半分ほど浄水を注いでガスコンロの火にかける。湯が沸くのを待ちつつ、家からほど近いブルーボトルコーヒーで買ったコーヒー豆をフェローの電動ミルで挽く。静電気でミルにこびりつくコーヒーの粉をブラシで掃除して受け皿に入れる。ケメックスにフィルターを乗せて、挽いたコーヒー豆を入れて平らにならす。薬缶がシューシューとした音を鳴らし始める。熱くなった薬缶の取っ手を布巾で包んで持ち、カリタのケトルにお湯を注ぐ。ケトルをくるくる回してお湯を冷ましてから、ケメックスにお湯を注ぐ。少量のお湯でコーヒー豆全体を蒸らした後、何回かに分けてお湯を注ぐと、コーヒーがケメックスに注がれていく。

そうして淹れたコーヒーを飲みながら、この文章を書いている。

誕生日にはそのときの気持ちを残したい気持ちが湧いてくる。だが、書く直前まで何を書くべきかがわからない。何を書くことが、自分にしっくりくるかがわからない。

1年前は結局書けなかった。iPhoneのメモに書き殴られた文章があるが、それはおそらく公開されることはない。公開されえない考えと気持ちが、この一年間を通してたくさん生まれていた。

2年前のnoteの文章には、cotreeのひらやま人格が色濃く出ていた。cotreeの周りにいる人たちに向けた文章になっていた。当時は当時で色々考えたが、自然とそうなるのだから仕方がなかった。そのときの環境から影響を受けてしまう。この文章も、いまの生活に影響を受けているだろう。

29歳の一年は、いままで一番仕事をしていない一年だった。

2022年11月末にcotreeを退職する前、休職した期間があり、心身ともに万全の状態で仕事に臨んだ時間は少なかった。仕事を抱えすぎたり社会とのつながり方がわからなくなったり、色々とがんばりすぎてしまった。その後、ゆっくり休めたので、いまは元気に生活している。よかった。

思い返せば、たくさん働いた20代だった。生活を基盤として人生を送ることにまだ慣れないが、30歳はのんびり生活をしたい。仕事の再開を優先するよりも、遊びとしての活動を増やしたい。

純粋でなくていい。善人でなくていい。取り繕わなくていい。ありのままでなくていい。みんなが善いとするものを安易に志向せず、自分の悪の側面を大切にしたい。自らの意思を通す時、誰からも求められないがやりたいことをやる時、その行動は他人からみると悪になり得ることを覚えておきたい。

とても寒い季節。雪が降る早朝。
30年前の1月25日、5時55分。

来年もまたこの季節に、自分とその周りを振り返る時間を持てるといいな。

30歳のひらやまをどうぞよろしくお願いします。

(うれしい感想をいただいたので追記)


最後まで読んでいただきありがとうございます。