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ぼくはきみの手を離せるようになったよ

ぼくがきみの手をつよく握っていたとき、きみはつらかったかな。気づけなくて、想像できなくて、ごめんね。

大切なきみを大切にしたくて、手をつよく握りすぎていたことがある。手放したくなくて、一緒にいるべき理由を伝えてしまったことがある。手を握られているきみは、きっと喜んでいると盲信していたときがある。

どんな人間関係においても、片方だけががんばっているときは、大抵うまくいかない。

手をつよく握ってしまうときは、視野が狭くなっているときだ。きみの手が、きみの存在が、狭くなった視野から見える世界のすべてのように感じてしまう。その手を離したら最後、もうきみは戻ってこないと思い込んでしまう。

手を握られたきみは、嬉しいこともあるかもしれない。だけど、時と場合によるだろう。安心するときもいれば、自由を奪われたように感じるときもある。

きみをコントロールしたいと思っていたときのぼくは、きっときみを信頼できていなかった。

手を離しても、近くにいてくれればいい
近くにいなくても、心でつながれればいい

そう思うことができなかった。狭くなった世界を必死で守ろうと、強迫的になっていた。

焦りと不安に支配されたとき、心を静かにして考えたいことがある。

その手にあるものが大事なのはなぜか
その大切さは何によってつくられているのか
本当に手を握らないと得られないのか

大切さを抽象化できれば、手を握るような直接的な関わり以外にも、大切なものを大切にする方法が、きっとみつかる。

わたしはだれか、きみはだれか
わたしのこと、どう思ってるの
ぼくは、きみを大切に思ってるよ

お互いへの理解を求めすぎると、苦しくなってしまう。別な人間である以上、完全には理解できないからだ。

一緒にどんなことをしたいのか
どんな未来に向かっていきたいのか
ぼくときみの進む道は重なっているのか

お互いを完全に理解することより、目指す未来の方向性を揃えることが、大切だと思う。

そう思えるようになってから、ぼくはきみの手を離せるようになったよ。きみが目の前にいなくても、しばらく連絡しなくても、きっと大丈夫。

たぶん、きみとぼくは、同じような未来に向かっている。近づきすぎてケンカしたり距離があいたりすることもあるだろうけど、きっと大丈夫。

ぼくは未来のぼくを信頼している。ぼくは未来のきみを信頼している。だから、未来のぼくときみは、きっと大丈夫。

いつもありがとう。これからもよろしく。


最後まで読んでいただきありがとうございます。