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人付き合いがうまくなると、すこしだけ切なくなる。

シャツを着たサラリーマン、元気な男の子、自転車を漕ぎ出す人。休日の昼下がり、道端のベンチに座りながら、道行く人を眺めていた。

人付き合いがうまくなると、すこしだけ切なくなるときがある。相手が自分に求めることも、自分が相手に求めることも、整理するための線を引けるようになるからだ。その結果、自分と相手との間に距離を感じることがある。

自分の気持ちは、相手に伝えきれない
相手の気持ちは、自分には理解しきれない

二人をわけるその線は目にはみえないけれど、たしかに存在する。その存在をなかったことにしてはいけない。お互いを完全に理解しあうことはできないという前提があるからこそ、お互いを大切にできるから。

最近はじめた"お悩み相談"をしているとき、相手の悩みに引きずられそうになることがある。自分と相手の境界がわからなくなって、相手の苦しい気持ちをそのまま受け取ってしまいそうになる。ただ自分のすべてただ共感することは、やさしさではないのだろう。

共感することと巻き込まれることには、大きな差がある。

どれだけ親身になってもどれだけ親切にしても、究極的には、自分に相手は変えられない。自分にできるのは、相手が変わっていくことを支えることくらいだ。相手をよく変化させられると信じ込むのは、ただの傲慢だ。

自分と相手を分ける場所に線を引いて、お互いが一人の人として独立することで、はじめて建設的に話し合える。一度引いた線は消して書き直せるから決死の覚悟で挑まなくていい。すこしだけ踏み込んだりちょっと引いたり、その繰り返し。人と人との営みは、すべてそこにつながっていく。

道行く人を通して、自分は自分をみている。彼ら彼女らを寂しそうだと思うなら、きっと自分がさびしいのだろう。

相手を通して、自分をみつける。自分を通して、相手をみつめる。

人は自分の新しい面や深い面を知るために、他人と関わるのかもしれないななぁとぼんやりと思った。

そんなことを思っていたら、すっかり長い時間が経っていたので、ベンチから腰を上げてまた歩き出した。




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