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ひらやまのエッセイ

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つらつらと書き綴るエッセイ。
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#毎日更新

#34 ふかい闇とこころの光について

アイデアを閃く前のこころは、いつも闇の中にいます。 それはずっと続くと苦しさに耐えられないような暗闇です。 自分の中の暗闇のイメージはトンネルで、歩いていくと色々なものにぶつかったりつまずいたりします。段差だったり落とし穴だったり、誰かとぶつかる時もあるかもしれません。 まっすぐでいいのか もっと回り込んだ方がいいのか 立ち止まった方がいいのか わからないことだらけでずっと迷っているのですが、方向は分からなくても、自分が歩いていることは実感できると思うのです。たしかに

#33 愛すべき疲労について

毎日を過ごすだけで疲労は溜まります。あまりにも疲れることが多いと、気力を失ってしまうかもしれません。 世の中では日々新しいことが生まれ、SNSの情報を触れるうちに、やりたいことがたまり、やりたいけどできていないことがたまってしまうかもしれません。 そんなとき、ふと思ったのです。 疲れないことはない。どんなことをしても疲れる。ならば「疲れない」「疲れを取る」ではなく、「いい疲れ方をする」方がいいのではないか。 疲れの有無を気にするよりも、どんな種類の疲れかを意識すること

#32 どうでもいいことについて

どうでもいいことを書いてみたいと思いました。 ホテルの部屋で、 目の前の缶ビールを、 右手で持つか、左手で持つか。 そんなことを考えてみました。 すごくどうでもいい選択なのに、考えてしまった時点で、どうでもよくなくなってしまうように感じました。 日常の中に結果が変わらない選択を考えるときはほとんどありません。 缶ビールを持ちあげる手 トイレットペーパーの種類 ドアノブの形 日常の中には意識しないで選ぶことが本当にたくさんあります。 しかしふとしたときに、どうでも

#31 言い争いとそれぞれの正義について

人が言い争っているのをみるのが、とても苦手です。どうにか分かり合えないものだろうかと思ってしまいます。 それは自分の願いなのかもしれません。稚拙な願いですが、できるならばみんな仲良くできるのがいいと願ってしまう。 この世に悪人はほとんどいないと思うのです。いつもひとりの正義ともうひとりの正義がぶつかっているだけ。 だれもが自分なりの物語を生きていて、色々な人の物語をみている。自分と相手のものが違うからといって、攻撃する必要ないと思うのです。 それぞれが、それぞれなりに

30日間、毎日エッセイを書いて思うこと。  #ひらやまのエッセイ

7月の始め、ふと思い立ってエッセイを書き始めて30日。 30日チャレンジの一環で取り組んでみて、見事に色々な気付きが得られたので、ここで振り返ってみようと思います。 数字的な振り返り書いたnote数:31 スキ数:870 たくさんスキをもらって、本当にありがたい。どこの馬の骨ともわからない一人のエッセイが多くの人に読まれていると、とても不思議な感覚です。ありがとうございます。 書いたnoteたち(30記事)#00 ひらやまのエッセイ、はじめました。 33 #01 響く

#30 メタ認知と没頭について

自分を俯瞰することは、良い面も悪い面もあります。最近感じることは、もっと没頭する機会があってもいいなということ。 時間を忘れるほど楽しい 一日中ずっとしていたい 他のなによりもそれがしたい そんなことが一つでもあれば、その人の一生は楽しいものになる気がする。 自分のメタ認知*1 を吹き飛ばすくらいすきなものに没頭する。評価や結果ではなく楽しみために没頭する。 そんな少年のような純粋な心が、実は一番大事なんじゃないかと思います。 それでは、また。 2019年7月30

#29 「生き方」をすきになることについて

同じものを見ても同じテーマでnoteを書いても、人が違えば全く違うアウトプットになります。 ずっと不思議に思っています。 人はひとりひとりどうしてこんなにも違うのか、分かり合えそうで分かり合えないのか。 人への興味は尽きないから、人と自分の深淵を覗いてみたいと思うのです。 人と人との分かつ大きなものの一つに「生き方」というものがあります。 肩書きとかすきなものとかではなく、もっと大きな人生というものの捉え方の話。 どう生きて、どう死ぬのか 何をみて、何を感じるのか

#28 「普通」の呪いと解放について

普通という言葉には、人を捕らえてしまう普遍的な意味があるのかもしれません。(普通の辞書的な意味は以下。) いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。 しかし人はひとりひとり圧倒的に違うので、普通の人など、一人もいないのです。 「普通の人」という言葉は、人のことをひとりひとり見ていないと感じます。 普通になりたいと願ったとしても、それは叶わぬ願いなのです。どれだけ努力しても誰かと同じになることは出来ず、あなたの持つ個性

#27 自己開示の扉について

一番近くて、一番わからない人が自分だと感じます。 自分を知るためには色々な経験が必要だと感じてさまざまなことをする人がいます。かくいう自分も旅に出たり1週間閉じこもってずっと考えたり、色々なことをやりました。 やってみて思うのは、魔法のように簡単に絶大な効果を得られることはないということ。自分を理解してスマートに見える人でもその背景には絶え間ぬ努力があるように感じます。 * 自己開示は「自分を開いて示す」と書きますが、その通りだと思います。 自分の中の奥の閉ざされた

#26 一人になりたいことについて

一人になりたいときがあります。 普段は人と話すことはすきなのですが、その揺り戻しのようにつながりを切りたいときがあります。 自分の世界に入ってしまって、深く深く自分のことを考えてみたい。自分の中で何かが詰まっている気がして、詰まりを取りたい。 たくさんの情報をインプットしたり、人も話すことでは見えてこない一面が、自分の中にはあります。 誰かと話せない時間は、自分と話す時間なのかもしれません。普段見過ごしてしまっている自分の小さな変化に正直になってあげる時間なのかもしれ

#25 noteへの熱量について

最近、noteに対する熱量というものを考えています。 なんでそんなにnoteがんばれるの? 更新ペースすごい! たくさん記事を読んでてすごい! こんな言葉をもらう度に考えてしまいます。 熱量は高いほうがいいのか。 熱が冷めてはいけないのものなのか。 そもそも熱量ってなんだ。 色々な方のスタンスがあると思いますが、自分はどちらでもいいと思うのです。熱量が高くても低くてもそのときの自分を表現できれば、それでいいと思うのです。 書きたくなったら書けばいい 書きたくなかった

#24 視点のずらし方について

困ったとき、自分の視点をずらすことを大切にしています。 このつらい状況はいつまで続くのか 目の前の出来事は人生のうち何%なのか この先10年で何をしたいのか いまの自分を相対化してあげる。いまの環境を絶対視しない。すぐには難しいかもしれないけれど、少しずつ良くすることができると信じてあげる。 未来に明るい展望を持たなればいけないかでいうとそんなことはありません。ただ未来の展望を描いてみる姿勢は、あった方が良いと思うのです。 未来は誰にもわからないので、自分の意思によっ

#23 新しきを彫刻することについて

新しいことをはじめるときは、彫刻家のような気持ちを大切にしています。 石や木の掘られたい形が見えてきて、その通りに形にするだけ。自分の感情やエゴよりも、向き合うもののありたい姿のために環境を整えてあげる。 ただ入り口をつけるだけ ただつながりをつくるだけ ただきっかけをつくるだけ みんなが何かをはじめたがっている。変化したがっている。ただきっかけややり方がわからないだけ。 その流れを見極めて動きやすいようにしてあげる。つまずきそうなことがわかっていたら、それとなく教え

#22 相談を受ける難しさについて

人の話を聞くことは、難しい。 一見アドバイスを求めているようでも話を聞いてほしいときがあり、傾聴だけでは物足りないときもある。 言葉のニュアンスで人を傷つけることがあれば、心のこもった一言で救われるときもある。 人と人との深い関わりにおいて、セオリーは存在しない。科学的に多くの場面で有効だとされる手法があっても、それでは上手くいかない場面も平気で存在する。 目の前の一人への配慮や尊重を欠かしてはいけない。 一つ一つの出会いの、一回一回の相談の、一言一言の会話の、尊さ