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報道の仕方、取材の仕方

新日本プロレスとプロレスリング・ノア(NOAH)の対抗戦が1・8横浜アリーナにておこなわれました。大会の詳細はPPVのリピートや週プロなどを見ていただくとして、先日、悪い意味で反響を呼んだ某スポーツ紙の記事について書きたいと思います。

取材者目線から見て(読者目線、ファン目線ではない)あまりにもひどい内容だったため、率直な感想をつぶやいたところ、大きな反響がありました。別に炎上させたいとか、反響がほしいと思っていたわけではなく、「よくこの記事を出せたなぁ」というのが素直な感想でした。Twitterで質問をされても一つずつ回答するのには限界があるため、私が考える取材の仕方、報道の仕方について書こうと思ったわけです。私の考えが100点満点の回答というつもりはありません。なので、自分の考えとイコールではないからと言って、ケンカ腰で向かってこられても困るということを先にお断りしておきます。また、記事を書いた方を悪者にしたいわけでもありません。たくさんのコメントをいただいたので、私がなぜそういう感想を持ったのかを書き記すということです。

まずはどんな記事だったかを簡単に説明します。1・8横浜大会のセミファイナルでロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)との10人タッグで敗れた金剛がノーコメントだったことを受けて、「NOAHの選手は新日本の選手と違って自分の言葉でアピールする術を知らない」とし、SNSから一部のファンの声(出所は不明)を用いて、試合だけでなく言葉でも伝えられるようにならないとダメだ……みたいな内容です。

記事の表面だけを受け取れば、「そうだ!金剛も何か言うべきだ」、「NOAHの選手はアピールがヘタだ」という感想を持つ読者の方もいると思います。なぜなら、そういう感想を持つように導く形で原稿を書いているからです。そういう意味でも一方通行の非常にアンフェアな原稿だなと感じました。

この記事が配信されたのは10日(月)で、9日(日)に原稿を書いたとすると、少なくとも試合直後ではありません。速報記事ではないので、対象の選手とコンタクトをとる時間(電話でOK)は十分にあったはずです。現場でのノーコメントだったことを批判するなら、対象者にコンタクトをとって意図を聞く。表に出せるものかどうかは別として、取材記者ならば、それくらいやるのは普通のことです。そうでなければ、取材記事ではなく、ただの自己満足の感想文です。大上段に振りかざすなら、コソコソやらずに、自分の考えを選手にぶつけた上で書くのがフェアです。

新人の頃、現場に出るときに「後ろから切りつけるようなマネはするな」と教わりました。報道姿勢として、何か疑問があったり、批判的な感情を持ったりしたら、それを対象者にぶつけた上で記事を書け、それができないなら書くなと言われました。拳王選手の反応を見る限り、今回の記事を書いた記者の方が選手とコンタクトをとった様子はなく、何も取材はしないまま一方的に書かれた原稿だったことがわかります。

現場でノーコメントだったのは事実だから、それを批判するのはいいんじゃないか。そう考えるファンの人もいると思います。もちろん、ファンの人はそれでOKです。しかし、記者はそれでOKではありません。批判記事を書くということは媒体を使って相手に不利益を与えるので、少なくとも裏をとるのがルールです。もしかしたら契約上の理由があったり、何かしらの事情でコメントできないケースもあります(今回の話ではない)。だから何か疑問や不満があるなら、取材者は相手の意図を探る、裏をとる努力をしなければいけません。これは特別なことではなく、私の感覚では当たり前のことです。そんな記者としての常識すらも知らない人が現場に出てプロレスを書いているのか……という残念な思いもありました。

他にもフェアではない部分はあります。原稿内に使用したSNSでのファンの失望の言葉というやつは、そもそも出所不明であり、何の疑問もなくそれを記事に使えてしまう非常識さも驚きでした。なおかつ使用したコメントは、ファンの総意ではなく、自分の記事に都合のいい内容だけを集めたものです。それがすべての意見のようにミスリードする記事の書き方は、取材対象との信頼関係を失うものであり、現場に出るための教育を受けた記者なら絶対にやらない方法です。これが「よくこんな記事を出せたな」という感想につながる部分であり、上司は原稿チェックしなかったのかな?と疑問に思った部分でした。

今回の新日本vsNOAHの対抗戦は、コロナ時代で多くの人が苦しむなか、プロレスのチカラを示すものだったと思っています。大会を見た多くの人がエネルギーをもらったり、明日への活力をもらったりしたことは事実で、それはメインを締めた選手だけでなく、出場した全選手、両団体のチカラであり、プロレスのチカラです。

ネット系の記事は批判的なもののほうが数字が伸びると言われます。だからあえてそれを狙うというのが現代のやり方なのかもしれませんが、個人的にはあまり好きにはなれません。

20年以上前、私が報道を志した理由は「喜び」でした。現場で取材したものの良いところを報道して、多くの人に喜びを発信したい。青臭い考えですが、良さを伝えることで業界も選手もファンもみんなにハッピーになってほしいと思っていました。もちろん、良くない出来事が起こることもあり、それを報道しなければいけないときもあります。しかし、今回のように良い大会ならば、無理やりアクセス狙いの批判記事にもっていくよりも、思い切り良いことを伝えて、みんなにポジティブになってもらいたいと考えられるほうがいいのになと思います。

何より報道する人には、取材対象に尊敬と愛を持ってほしいなというのが一番の思いです。若い頃は自分も記事の内容で選手や関係者に怒られたことはあります。経験を積みながら学んで成長してきました。報道記者の方が今回のこと機に成長して、良い記事を書いてくれたら嬉しく思います。

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