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1996年からの私~第2回(97年)流し台工場の怖いおじさん

流し台工場でこっぴどく叱られる

大学が春休みになり、部活の合宿で福島にあるクリナップレスリング部へ。クリナップは流し台やキッチンを作っている会社で、このときは消費税増税(3%から5%へ)前ということで、注文が殺到。人手不足を補うため、9時〜17時が工場でバイト、夕方18時過ぎから練習という合宿でした(写真は大学4年時)。

2週間程度の学生バイトなので、大した仕事ではないだろうとタカを括っていたら大変な目に遭いました。実際、ほとんどの部員はダンボールへの詰め込みや部品の接着など、カンタンな仕事の担当でした。しかし、キャプテンだった私は、「一番責任感をもってやってくれそうだから」という理由で、ベルトコンベアのラインに入って作業することに。しかも5メートルくらいの担当スペースを流れる間に、複数の部品を使ってキッチン、流し台を組み立てるという、かなり本格的な仕事でした。

キッチン、流し台の制作は、A、B、C、K、Lみたいにアルファベットで記された5〜6種類のベースがあって、AにはA用の部品、BにはB用の部品があり、その数も組み立て方もそれぞれ違います。最初に全部の制作パターンを一度教わって、あとはベルトコンベア上でひたすら作業。自分のスペースで作業が間に合わないと、ラインストップのボタンが押されます。当然、一度教わっただけですぐに対応できるわけもなく、何度もラインを止めることになり、その都度、工場の方々から冷たい視線を浴びせられます。

初日の仕事が終わった後、同じラインのリーダーの怖いおじさんに「遊びで来てるなら今すぐ帰っていいぞ」とゴミを見るような目で言われました。レスリングの練習がメインで来ているのに、こんな重労働を与えられて、一生懸命やっているにもかかわらず、なんで怒られなければいけないのか。初日にしてもう帰りたいと思いましたが、練習があるのでそうもいかず、翌日からも怒られながらも仕事を続けました。

いま頑張れないヤツは明日も明後日も1年後も10年後も頑張れない

この仕事は無理だ…と思ったものの、人間とは環境に慣れるもので、続けていると作業スピードも上がっていき、ラインを止めることも少なくなりました。ところが好事魔多し。普段あまりないパターンの流し台を組み立ての際に(多いのはA~Cだったと記憶)、パーツのはめ込みを間違えたまま流してしまったのです。途中で気づいた人がラインを止め、原因は私だったことが判明。終業後、怖いリーダーに「今すぐ腹を切れ」くらいの勢いで怒鳴られました。

さすがにこのまま続けていくのは限界と思い、レスリング部の方と工場長に担当を替えてほしいと相談。そのとき、工場長から思いもよらないことを言われました。

「〇〇さん(リーダーの怖いおじさん)が君のことをすごく褒めてたんだよ。物覚えが早いし根性もあるから正社員になってほしいくらいだって。きっと、君ができると思ってるから厳しく言うんじゃないかな。あと1週間だし、もう少し頑張ってみてよ」

流し台職人を目指しているわけではないので、褒められても嬉しくない。担当を替えてもらうことはできず、仕方なく仕事を続行。ただ、注文殺到で忙しい工場の方々に迷惑はかけられないので、とにかく必死に頑張りました。終業後の練習よりもはるかに頑張っていたと思います。そして最後の仕事を終えて、同じラインの方々とお別れのときがやってきます。みんなが私の試合のことや就職のことを激励してくれるなか、一人離れたところにいたリーダーにお礼の挨拶にうかがうと、いつも通り不機嫌そうで、それでいて少し照れくさそうに、私に向かってこう言いました。

「仕事は何年やってるとか、給料が安いとか、そんなのは関係なくて、どんな仕事でも責任を持ってやらないとダメなんだ。目の前の仕事を責任持ってできないヤツが他のことならできるのか? 今度、就職活動なんだろ。仕事を始めたらどんなことでも責任持って頑張れ。もし就職が決まらなかったら、ここで雇ってやるから」

バイトだから。就職するわけではないから。練習があるから。他の部員は楽な仕事してるのに……とにかく、言い訳ばかり考えていた自分に気づき、ハッとさせられました。同時に怖いおじさんは、少しの滞在で通り過ぎていく学生の私相手にも、本気で指導してくれていたことがよくわかりました。工場で働くつもりはないけど、どんな仕事でも責任を持ってやろうと強く思ったのです。

「いま頑張れないヤツは明日も明後日も頑張れないし、1年後も10年後も頑張れない。だからいま頑張る」

これは自分の中のモットーの一つです。この考え方が生まれたのは流し台工場の怖いおじさんと仕事をしたことがきっかけでした。

実はこの合宿中に自宅から電話があり、週プロの濱部編集長から連絡があったということを伝えられていました。すぐに編集部に電話をかけると、濱部さんは「合宿中なんだってね。急いでいるわけではないから帰ってきたらまた連絡して」と、すごく軽い一言。こっちは一刻も早く工場から脱出したいけど、実に軽いタッチ。週プロの編集長はこんな感じなんだ…とまだ見ぬ将来の上司に妄想を膨らませていました。

こうして流し台工場で仕事に取り組む姿勢を学んだ私は、帰京後に再び週プロに電話。濱部編集長と会う約束を取りつけ、面接に臨むことになったのです。

つづく

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