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日本のスポーツはなぜ強くなったのか?①NTC

バルセロナ、アトランタの惨敗を受けて動き出したトレセン構想

オリンピック代表選手団の結団式がおこなわれ、いよいよパリオリンピックの開幕が迫ってきたことを実感します。少子化が叫ばれて久しい現在の日本ですが、スポーツ界は各競技に優秀な人材が揃っていて、パリオリンピック・パラリンピックでもメダル獲得が期待される選手が数多く存在します。

2021年の東京オリンピックでは地元開催ということもあり、史上最多の金27個、銀14個、銅17個の計58個のメダルを獲得しています。その前、2016年のリオデジャネイロ大会でも、41個(そのうち金メダル12個)のメダルを獲得。特定の種目に偏るわけでなく、様々な競技でメダリストが誕生しています。

決して人口が多いわけでもなく、とくに若者人口が少ないにもかかわらず、日本のスポーツはなぜ強いのか? 今回はそんな話を書いていきたいと思います。

「日本のスポーツは強い」と書きましたが、1990年代はかなり危機的状況でした。1992年のバルセロナ大会は計22個(金3個)、1996年のアトランタ大会は、わずか14個で3つの金メダルはすべて柔道。その前後の1988年ソウル大会も計14個(金4個)、2000年のシドニー大会は計18個(金5個)と、現在と比較すると、かなり低迷していることがわかります。

日本のスポーツ界がこうした不振を脱却した背景には、ナショナルトレーニングセンター(NTC)設立による、強化体制の充実があります。なかなか一般の方がNTC内に入ることはないと思いますが、施設の充実は素晴らしいもので、各競技の代表チームの練習拠点になっています。

もともとトレセン構想は最初の東京オリンピック、つまり1964年の東京オリンピック当時からあったものです。ただ、当時は戦後の復興真っただ中ということもあって、新幹線や高速道路などインフラ整備が重視され、見送られたという背景がありました。その東京大会では金メダル16個(総獲得数29個)と日本は大きく躍進。その後のモントリオール大会やミュンヘン大会でも一定の結果は残していたため、なし崩し的にトレセン構想は保留されたままになっていました。

ところが前述したように92年のバルセロナ、96年のアトランタでは各競技とも惨敗。00年のシドニー大会も振るわず、現状を危惧した文部省(現・文部科学省)が00年9月に「スポーツ振興基本計画書」を策定。オリンピックでのメダル獲得率3.5パーセントを目指すという目標が掲げ、競技別の強化拠点としてナショナルなレベルのトレーニング施設の設立が具体化したのです。

日本独自のトレセンをつくる

こうしてトレセン構想が動き出したものの、問題は山積みでした。最初に問題となったのは建設場所です。オリンピックは夏・冬合わせると約40競技あり、全部に対応するには広大な土地が必要となります。当初は北海道や関東平野への建設も議論されましたが、先行して01年に建設された国立スポーツ科学センター(JISS)の存在がポイントとなりました。ここに隣接してNTCをつくるべきという判断に至ったのです。ちなみにJISSにある喫茶室「New Spirit」は一般の方でも利用可能です。ランチも飲み物も安いので、取材でNTC(JISS)を訪問した際はよく利用させてもらっています。

話を戻しましょう。ご存知の通り、NTCやJISSは東京都の北区(本蓮沼駅が最寄り)にあります。土地が限られており、まずは夏の屋内競技を優先することになりました。トレセン構想のきっかけがバルセロナ、アトランタの夏季オリンピック惨敗からスタートしているからです。当然、屋外競技の団体や冬季の団体からも要望はありましたが、「まずは計画を動かすことが先決」という判断のもと、夏のインドア競技を中心としたトレーニングセンターを作ることになりました。

NTCは日本独自の発想でイチから作りあげられています。当初は先行する諸外国のトレセンを参考にするという案もありましたが、スポーツ強豪国は広大な敷地の中に体育館が点在するようなトレセンが多く、条件面の違いから施設の作り方を参考にすることはできなかったからです(資金調達法や運営法は諸外国を参考にしています)。

何か新しいことを始めるとき、「前例がない」という理由で必ず反対する人が出てきます。前例がないからできないのではなくて、前例がないからつくるのです。とにかく一歩踏み出すことが大事なのです。JOCは日本独自のトレセンをつくりに踏み出しました。

夏季の屋内競技、つまり、柔道、レスリング、バドミントン、体操、卓球、水泳、ウエイトリフティング、フェンシング、バレーボール、バスケットボールなど、対象となる各競技団体へのリサーチを開始。NTCに理想の練習場をつくりあげていきます。

大前提となったのが、オリンピックの試合場と同じような環境の練習場をつくること。日本でトレーニングしているときの状況と、本番に行ったときの状況が、視覚的にも感覚的にも全然違ってしまったら、トレーニングをしている意味が減少してしまいます。本番でストレスなく力が発揮できるようにするためには、練習環境から本番と同じ規格でなければいけません。

そこで各競技団体の国際ルールを調べて、練習環境をすべて国際規格に合わせました。たとえば、体操の器具は国際大会で使用されるものと同じものを用意。レスリングのマット、柔道の畳なども直近のオリンピックで使用されるものにしました。これは卓球台も同様です。バレーボールやバスケットボールの体育館の天井の高さも、国際大会と同じ規格にすることで、本番に行ったときに感覚のズレがなくなります。

NTCはこうしたトレーニング面に加え、栄養・休養にもこだわりました。競技力向上には、トレーニング・栄養・休養が三原則。トレーニング施設を充実させると同時に、宿泊施設、栄養指導食堂もNTCに併設。合宿の際、選手たちはここに宿泊し、食堂で栄養バランスに優れた食事を摂ります。宿泊施設にはリラックスできる大浴場やシアタールームもあり、食堂では三食はもちろん、必要な栄養をタイミングよく補う補食も用意されています。クリニックも併設されていて、ケガをしたときにはすぐに適切な処置が施されるようになっているのです。

多くの競技団体の練習拠点がNTCにできたことで、競技の枠を超えた選手間の交流や、指導者の情報交換も盛んになりました。実際、取材でNTCに行くと、さまざまな競技のトップ選手を見かけます。こうした選手たちが食堂で顔を合わせれば、「遠征どうだった?」というような会話が自然発生的に生まれ、それは選手たちのモチベーションアップにもつながります。また、各競技にはNTC専門コーチがいて、コーチ同士の横のつながりで、定期的な意見交換会を実施。効果的なトレーニングの情報を共有できるようになったのです。

もう一つ、忘れてはいけないのが、人材育成を目的とした「JOCエリートアカデミー事業」。これは全国から優れた資質を持つジュニア競技選手を発掘し、一貫指導システムのもと、将来、オリンピックをはじめとする国際大会で活躍できるアスリートの育成を目的としたものです。こちらの話は長くなるので、また別枠で紹介したいと思います。

日本のスポーツが強くなったのは、選手たちの努力はもちろん、こうした国をあげての強化が背景にあったのです。それと同時に国の強化体制が不十分だった不遇の時代でも、競技の火を守るべく尽力していた各競技団体の関係者、選手たちがいたからこそ、現在があることも忘れないでください。

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