1996年からの私〜第5回(98年)格闘技通信の日常
仕事はやればやるほど増える打ち出の小槌
「格闘技通信」編集部で働き始めた私がやっていた仕事は、以下のような内容です。
まずは写真整理。当時はデジカメではなく、フィルムだったため、撮影した写真を大会ごと、試合ごとにファイリングしていきます。また、誌面で使用した写真を1号ごとにまとめて、再利用するときにすぐにわかるようにしておくことも大事な仕事でした。そして新聞のスクラップもあの時代ならではの仕事。現在はインターネットで検索すればすぐにニュースがでてきますが、当時はそれができなかったので、出社したらスポーツ紙すべてに目を通し、格闘技関係のネタをすべてスクラップするのです。
他には先輩記者が取材してきたインタビューのおこしをやったり、毎号のプレゼントの発送をしたり、ライターさんから素材を受け取ってデザイン出しをしたりという雑用全般。前回書いたようなおつかいも頻繁に頼まれます。
勤務時間は基本的に11時〜19時までの8時間。夜の試合取材があるときは、22時くらいまでの勤務となります。私は11時に出社していましたが、当時の格通スタッフが出社してくるのはだいたい15時すぎ。それまでは編集部に一人です。電話が同時に鳴ると一つは取れなかったり、来客応対中の電話対応にてんやわんやしたりということは日常茶飯事でした。あるとき、電話応対中に先輩社員から編集部にかかってきた電話に出られず、「どこでサボってたんだ」と怒られたこともあります。編集部を空にできないため、トイレはダッシュで30秒以内、ランチを外で食べることもできませんでした。
ちなみに噂の安西“グレイシー”伸一さんと初遭遇したのは、仕事を始めて1週間以上経ってからでした。最初の1週間は19時で仕事を切り上げていたため、夜になってから編集部に顔を出す安西さんとは一度も会わなかったのです。そしてある日の昼頃、いつものように一人で編集部にいると、ウエストバッグをつけて、背中からシャツがチョロっと出ているメガネで小太りのおじさんが慌てた様子で編集部に入ってきました。来客だと思い「お約束ですか?」と問いかけると、「君は誰?」と逆質問。1週間ほど前から働き始めた新人であることを告げると、デスクから何かを取り出して去っていきました。とくに名乗られたわけではなかったのですが、その様子からこの人が噂の安西さんか!と察しました。その後、安西さんには何度か「君は誰だっけ?」と聞かれ、途中からは面倒くさいので毎回違う名前を言うことにしていました。
記者デビューしたのちに、安西さんに試合リポートを見てもらったときは、使用する写真一枚一枚の使用理由を聞かれました。それは限られた誌面を有効に使うためという意味で、本文とキャプションのすみ分け方法も細かく教えてもらいました。安西さんは締切間際になると突然いなくなったり、終電で帰ろうとしているときにインタビューおこしをまわしてきたり、いろいろ迷惑も被りましたが、大事なこともたくさん教わっています。
安西話はこのくらいにして話を戻します。格通編集部は新人でもすぐに取材に出してくれたため、仕事を始めて1週間後からは連日取材に同行していました。1カ月が経つ頃にはアマチュアの大会に一人で取材に行かせてもらい、早々にリポートデビュー。仕事を始めて2カ月が過ぎると、誌面の担当ページを持つことになります。ニュースコーナー、大会フラッシュ、読者コーナー、インフォメーションといったレギュラーページのほとんどを担当することになり、細かいアマチュア大会のリポートや記者会見の記事などと合わせて、毎号20ページ近く任されるようになっていました。
仕事はやればやるほど増える打ち出の小槌みたいなものです。できることが増えれば仕事は増えていくもの。現状維持で良しとしていると同じ場所に留まることになり、永遠に同じことを続けることになります。格通では新人とか、若いとか関係なく、やればやるほど与えられる仕事が増えていくので、非常にやり甲斐を感じていました。
好きなことを仕事にしたほうがいい
当時の格通は毎月8日と23日の月2回発行。これに加えて人気絶頂だったK-1やPRIDEの増刊号もあったため、だいたい月に3冊制作していた印象があります。K-1の大会取材では大阪、福岡、名古屋など、出張にも行かせてもらえました。とはいえ、地方大会に行くときの私の役目はリポート担当ではありません。フィルム運びという、下っ端なら誰もが経験する、運び屋の仕事でした。
フィルムの現像には時間がかかります。増刊号は急ぎの作業になるため、途中でフィルムを一度回収して現像所に持って行くのです。つまりフィルム運びの私は大会の途中で引き上げることになり、後半の試合は見ることができません。メインまでしっかり見たければ、メインを任される人間になるしかないのです。純粋に試合を楽しみたいのであれば、仕事で行くのではなく、観客として行くべきでしょう。
就職活動中の学生の頃は、「好きなことを仕事にするのは良くない」みたいな話をよく聞きましたが、自分はそれとは真逆の考えです。格通に入ってからは月に1日くらいしか休みははく、次から次へといろいろな依頼があって、常に仕事はパンパン状態。それでも取材をするのは好きだし、原稿を書くのも好きだし、人と会うのも好き。何より雑誌をつくるのが好きだから、休みがなくても別に大変だとか嫌だとは思っていませんでした。その気持ちは今も変わっていません。好きでもないことをお金のため、生活のためと割り切ってやることのほうが、私にはよっぽど無理です。
ただ、格通時代はバイトで時給だったにもかかわらず、土日の現場の際はタイムカードを回せなかったのでタダ働き。社員になってから、タイムカードを回せないときは後で手書きで時間を入れればいいと聞きましたが、それを知らなかったバイト時代は土日はずっとタダ働きでした。時給が750円とスーパー格安だったので損害は1年で20万程度だったとはいえ、なかなかひどい話です。
フル回転で働く日々が続くなか、PRIDEで躍進を始めた桜庭和志選手のインタビューをさせてもらう機会にも恵まれました。当時はプロレスと格闘技の境界線にナーバスな空気があり、格通にはプロレスラーの桜庭選手のインタビューをやりたがるスタッフがいませんでした。そのため、新人の私に白羽の矢が立ったのです。同じレスリング出身ということもあって、なかなか良いインタビューができたという手応えがあり、その後は立て続けに桜庭選手の取材をさせてもらうようになっていきました。
仕事を始めて1年で大量の仕事を任されるようになり、2年目からはキック、空手の担当団体を持つことも決定。しかし、仕事が楽しくてしょうがないというときに、格通を離れることになります。週プロへの帰還命令があったのです。
つづく
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