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グリーン車は狭くて窮屈だった

初めてのグリーン車で天龍サプライズ

今年は新型コロナウイルスの影響で、ここ20年でもっとも飛行機や新幹線に乗る機会が少ない1年です。週刊誌の現場記者時代は週に一度は出張があり、編集長になる前、現場のエースだったときは海外にも年4回出張に行っていたほどです。

先日、久しぶりの出張で名古屋に行きました。日帰りだったので、帰京したらもうひと仕事と思っていたものの、想像以上の移動疲れがあって断念。旅は疲れるものだなと改めて実感しました。

というわけで、今回は私が初めてグリーン車に乗ったときの話を紹介しましょう。

時は2001年。プロレス史的にはZERO-ONEが旗揚げした年の出来事です。私のポジション的にはNOAHのサブ担当で、躍進中のPRIDEの担当。キャリア的にも3年となり、そろそろ若手からの脱却という時期でした。

細かい内容は覚えていないのですが、その日は天龍源一郎選手が名古屋でトークショーをおこなうことになっていました。普通、地方のトークショーに出張費をかけてまで取材に行くことはありません。ところが、直前になって「天龍がZERO-ONEについて何か爆弾発言をするらしい」という情報が入り、予定がなかった私が急きょ名古屋に行くことになったのです。

「グリーン車に乗ってもいいから早く行け」と編集長から指令を受けて出発。たしか平日だったので、新幹線はガラガラです。ここで私は考えました。グリーン車に乗ってもいいと言われているので、せっかくだから乗ってしまおうと。名古屋まではわずかな時間。日帰りで何も楽しめないから、新幹線の中だけでも満喫しようと考えたのです。

焼肉弁当を購入して意気揚々とグリーン車へ。自由席も空いてるくらいなので、当然車内はガラガラです。弁当が食べづらくなるにもかかわらず、リクライニングを最大限に倒して、優雅な気分に浸ります。ところが、その王様気分はわずかな時間で過ぎ去っていくことに…。

まもなく出発というところで弁当をオープン。すると、車両の前方から和田京平レフェリー、その後に天龍選手が入ってくるのが見えました。どうやら彼らもこの新幹線で名古屋に向かうようです。

京平さんは車両に入って2〜3番目のシートに着席。天龍さんは座席番号を見ながらこちらに近づいてきます。「来るなよ」「来るなよ」…と念じる私の思いは叶わず、なんと天龍さんは私の真後ろに着席しました。ちなみにこの時点では天龍さんと面識がなく、私が一方的に知っているだけでした。

こんなに空いてるのになんで後ろに来るんだよ!(心の声)

少し前を思い出してください。私はリクライニングを最大限に倒しています。天龍さんが怒るのではないかと思い、シートを戻します。一気に戻すとそれはそれでまずいかと思い、腹筋の力で座席にかかる体重をコントロールしながら、すこーしずつバレないようにシートを直角まで戻していきました。

ホッとしたのも束の間、ここでもう一つ問題が! 焼肉弁当です。天龍さんから「臭い!」とクレームが入るのを恐れ、2分で完食。残った空気も吸い込んで処理して、すぐにゴミ箱へと空箱を捨てました。

名古屋までは1時半。普段ならあっという間ですが、直角に座り、後ろから無言の重圧がかかる、この日は異常に長く感じました。結局、トークショーでの爆弾発言もなく、ニュースコーナーに少し掲載されただけというオチ。

以上、初めてのグリーン車は狭くて窮屈だったという話です。

おわり。

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