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ボスが残した功績とボスへの感謝

横浜F・マリノスのアンジェ・ポステコグルー監督(以下、ボス)が退任、スコットランドの名門セルティックの監督に就任することが発表されました。リーグ優勝を狙える位置につけるシーズン途中での監督交代は、チームにとって大きな痛手ではありますが、ヨーロッパの名門からJの指揮官に声がかかるというのは極めて異例。ボスのアタッキングフットボールが世界から評価されたことは、マリノスサポーターとしては喜びでもあります。

ボスが監督に就任した2018年というと、10番を背負い主将を務めた下部組織出身の選手が、チームに後ろ足で大量の砂をぶっかけて移籍した年。さらにウイングとして攻撃のキーマンであったマルティノス(現・仙台)も移籍し、前任のモンバエルツ監督時代の攻撃の核だった両ウイングを失ってのスタートでした。

傍から見ればこれは一大事です。しかしながら私には主力選手の移籍よりも、ボスの監督就任のほうがビッグニュースでした。オーストラリア代表を率いた彼のサッカーに魅了されていたからです。アジアでの日本との戦いでは、「オーストラリア人につなぐサッカーは合ってない。怖さがなくなった」など酷評されていた記憶がありますが、2017年のコンフェデレーションズカップで見せたオーストラリア代表のサッカーが鮮烈だったのです。

とくに2014年ワールドカップ優勝国で、このコンフェデも制することになるドイツとの試合は素晴らしいものでした。時の世界最強国相手に次々とチャンスを生み出し、ゴールに迫っていくサッカーは大迫力。数少ないチャンスを確実にものにするドイツに最後は2-3で振り切られたものの、内容的には圧倒。「なんでオーストラリアがこんなに強いんだ?」と驚きを覚え、それが名前の長い監督の手腕であることを知りました。いろいろ調べていくと、ボスは自分と誕生日が同じということもあって、密かに注目していた監督だったのです。

スペクタクルなサッカーをする監督がマリノスにやってくると知り、選手の移籍なんてどうでもよく感じるほどワクワクしたことを覚えています。このシーズン開幕前「10番移籍してマリノスやばいですね」と言ってくる人たちに「ポステコグルーが来たのが最大の補強」と返していたことが思い出されます。当時は「それ美味しいんですか?」など言われていましたが、ボスの超ハイライン、ハイプレスサッカーは瞬く間にJリーグでも話題となっていきました。

就任1年目の2018シーズンは特殊な戦術の浸透に時間がかかり、またチームのスタイルにフィットする選手を揃えられていなかったこともあって大苦戦。最終節まで残留争いを強いられたほどでした。ただ、このシーズンでは夏にレンタル移籍してきた久保建英に覚醒のきっかけを与えるという、日本サッカーにとって極めて大きな仕事をやってのけています。

2019年には圧倒的な攻撃サッカーで15年ぶりにマリノスにリーグタイトルをもたらせてくれました。J以前からの日産サポである私は何度となくマリノス(日産)の優勝を見てきましたが、2003年生まれの息子はマリノス初観戦が2005年であり、タイトルと縁のない(2013年の天皇杯のみ)サポーター生活。それどころか松田直樹との死別、中村俊輔との辛い別れを経験しながらもサポーターを続けていて、嫌な思いをすることのほうが多かったはず。そうしたなか歓喜の瞬間をスタジアムで体感させてあげることができ、子どもをサポーターに育てあげた親としてもボスには感謝でした。

話が逸れました。ボスの功績はタイトルをもたらせたことだけではありません。まずは確固たるスタイルの確立。ボス就任以前のマリノスは堅守を武器にし、得点は一部の選手の個の力に委ねる戦術レスなもの。そんな“塩試合製造機”と揶揄されることもあったマリノスのサッカーを劇的に変えました。90分間攻撃し続けるスペクタクルなサッカーは楽しく、勝っていても時間稼ぎをしないスピリットは誇らしくもあります。

チームに“ファミリー”という意識を植え付けたことは今後も大きな財産となっていくでしょう。ベンチやベンチ外が続いても腐る選手はおらず、ファミリーとなった選手やスタッフは、チームを離れてもマリノスへの愛着を持ち、それを表現してくれています。チームからファミリーへ。これもボスの功績です。

また、下のカテゴリーからの選手発掘、抜擢も見逃せないところ。優勝時にゴールを守ったパク・イルギュ(現・鳥栖)は、J3だった琉球からの加入であり、今では日本代表の常連となった畠中槙之助もJ2のヴェルディからの加入。実績ではなく、能力を評価して才能を引き出す手腕は見事なものでした。

攻撃的なサッカーで前線の選手の能力を開花させる指導にも目を見張るものがあります。19年MVP&得点王の仲川輝人、日本代表にも選出されたオナイウ阿道、U-24日本代表の前田大然、ドイツ1部ウニオン・ベルリンへと旅立った遠藤渓太と、FW陣は軒並みゴール意識、得点感覚が磨かれていきました。外国人選手も19年のマテウス、20年のジュニオール・サントスと、所属チームで燻っていた選手を覚醒させました。

列挙したことをはじめ、ボスがマリノスに残した功績は計り知れません。就任時、「誰もが我々のサッカーを恐れることになる」と口にした言葉通り、今ではすべてのチームがマリノスのアタッキングフットボールを恐れるようになりました。まさに有言実行です。

マリノスでボスのサッカーが見られなくなるのは残念ですが、そのイズムは受け継がれていくもの。ボスは事あるごとに「信じること」の大切さを説いていました。新たな監督のもとでも、常に攻め続けるアタッキングフットボールは変わることはないと信じています。

そしてボスにはヨーロッパでさらにビッグな存在になってほしいと思います。スコットランドリーグはもちろん、CLでも、ボスのアタッキングフットボールで多くのサッカーファンを楽しませてくれると信じています。

おわり。

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