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息子が二十歳になりました

本日10月3日、息子が二十歳の誕生日を迎えました。とくに大きな病気をすることもなく、元気に育ってくれて、父親としては嬉しい限りです。

現在は大学で将来のために医学・薬学を学び、塾講師のアルバイトをしつつ、バンド、フットサルを楽しみ、父と一緒にマリノスを熱烈に応援するという、非常にバイタリティに満ちた日々をすごしています。

親バカと言われそうですが、息子は明るく社交的で、真面目ですごく優しい本当にナイスガイです。我ながらとてもいい子に育ったと思っています。ただ、子どもの教育に関しては妻が熱心なこともあって、私は何もしていません。やっていたことといえば、一緒に遊んだり、一緒に怒られたりしていたくらいです。言葉で伝えてわかるようになった小学生以降はほとんど怒った記憶もなく、親の常套句である「勉強しなさい」も一度も言ったことはありません。

そんな私が一つだけ心がけていたことは、義務教育の間は何があっても学校行事に参加するということです。運動会、発表会、父親参観…そのほか、父親が行くべき行事は徹夜明けでも、出張に行く直前でも、全部出席しました。そして最大限の愛情で頑張る我が子を応援しました。

仕事はクオリティさえ求めなければ、誰でも私の代わりはできます。しかし、子どもたちにとって父親は私しかいません。これはどんなイケメン俳優でも、スーパーアスリートでも、私の代わりを務めることはできません。

忘れもしない2009年6月。息子は年長さんで、幼稚園最後の父親参観がありました。プロレスファンの方は覚えていると思いますが、父親参観の1週間前の6月13日、三沢光晴選手がリング上の事故で命を落としました。このときのことは過去のnoteに書いてあるので割愛しますが、ずっと家に帰らず仕事をしていて、やるべきことが山積みでした。

幼稚園児はそんな父の事情は知りません。父親参観が迫っているのに家に帰ってこない父のことをどう思っていたかはわかりませんが、私は仕事の合間をぬって父親参観に出席しました。親子騎馬戦では、軽快なフットワークで他のお父さんの背後に回り込んで、息子に10個近く帽子をとらせてあげることができました。帰宅後、その様子を誇らしげに母と妹に話す姿は鮮明に記憶に残っています。

ハッキリと本人から聞いたわけではありませんが、中学生になってから、息子はこのときのことを知ったみたいです。周辺の話から察するに、私が日テレG+でプロレス中継の解説をしているのを見ていた友人の父親ヅテだったようです。そして中学卒業時の親への手紙には「中学生になって父の偉大さを知りました。僕の自慢です」と記されていて、ちょっと泣きそうになりました。

そんなこんなで息子も立派な大人です。大学は6年通うことになるので、まだまだ社会に出るのは先になりますが、父はまだ若く元気なのでいくらスネをかじってもらっても大丈夫です。そして「僕の自慢です」と言ってくれた彼は、私の自慢の息子です。

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