ジーンとドライブ 9年で3枚の離婚届
ジーンと結婚して9年目になる。時が過ぎゆくのはとてつもなく早い。早く感じただけかもしれない。年をとればとるほど、時間は早く通り過ぎると言うのだから…。
私が結婚前に一番長くお付き合いした彼とは7年弱だった。結婚も考えたその彼との日々をサラリと超えてしまった。ついに、ジーンとの日々が最長になったのだ。が、しかし、ここに来るまでに『離婚届に判をつく』までを3度繰り返している。いづれも、どこからどう始まってそこまでなるのか疑うほど些細なすれ違いからだ。育てていたトマトに水をやったかやらないかで始まった争いもある。
1度目は私が先に書いた。書け!と言われて書いていたのに、書いている途中でひったくられた。
2度目は二人ともが書いて、判までついた。そして、ジーンが提出したのは市役所ではなく、大事なものを仕舞う引き出しだった。
2度までは『離婚ごっこ』のようなものだった。いづれも私はどっちでも良かった。こういう運命だったのね…とどこか冷めていた。離婚するならしたで、よく分からないこのジーンと言う人から解放されるのだと思っていたからだ。
結婚を決めた時、ジーンを心の底から愛し、この人と絶対に幸せになるんだ…など思っていなかった。ただ、自分がこの先人生を共にする人はこの人なんだろう…と漠然と思っていただけだった。ジーンは一見、韓国俳優の様にシュッとしていて、背が高く、人当たりが良さそうにふるまってはいたが、全く好みではなかった。それによくよく見れば、しかめっ面が普段の顔つきだった。8割9割、冷たく淡白で控えめで無頓着だが、時折妙な熱を感じた。それが何とも儚げに見えていた。力もないくせに放っておけなかったのかもしれない。校訓だった『自主・協力・奉仕』の精神が自分の中に残っているのかもしれない。
でも、喧嘩の度、自分ではどうにもならないのだと匙を投げたかったのだ。離婚して解放されるなら逸れも良かった。大きく息を吸いたかった。だから、いつも淡々と書いた。
3度目はジーンが先に書き、私はジーンの目の前で、いつものようにゆっくりと丁寧に落ち着いて書いた。流石についに終わるのだと思っていたし、ジーンもそう思っていたのだと思う。私は最低限必要な荷物をトランクに詰めて車で5分の実家へ戻った。
1か月程、実家で過ごした。久しぶりに新鮮な空気を吸えた気がしたが、やはり、モヤモヤした。実家にはもう自分の居場所がなくなっていた。落ち着くはずのかつての我が家は、数時間、数日ならいいが、私はもう『お客さん』扱いになっていたのだ。
ジーンのいない時間にパソコン仕事をしに家に戻ったりした。私が居なくなった後、部屋が散らかっててんやわんやにでもなっているならまだしも、部屋は私がいた時よりもきれいに保たれていた。洗濯もピンピンに干されていた。こっちも意外と私がいないならいないで快適に過ごしているようで、何よりだったが、全く可愛くない。
いつの間にか、自分の居場所がこのジーンとの部屋になっていたことに気づいて、急に寂しくなった。無造作にテーブルに置かれたチラシを指ではじいた。すると、チラシの下にあった紙くずの山が姿を現した。
「何でゴミ箱に捨てないんだ?」
と紙くずをつまんで捨てようとして、それが小さく小さく破られた離婚届けだと理解した。いつ破ったのか、いつからこうやって置いてあるのか…。よくもまあこんなにも細かく…と色々考えながら、見なかったことにして、最初にあったようにチラシをそっと被せてその日は実家にひとまず帰った。
数日後、
「何してるの?早く帰ってきて!」
ブチッ。と、投げ銭の様な一方的な電話が掛かってきた。あんまり悔しいので、そこからもうしばらく実家で過ごして、何もなかったように家に戻った。
3度目も『ごっこ』だったかもしれない。母はトランクを抱えて帰って来た私を隠れて笑っていたらしい。
離婚届という紙切れで、ジーンは私の気持ちを測っていたのか…?。
「いや!別れたくない!」
という言葉が欲しかったのだろうか?可愛くないのは私の方なのか?
この先、4度目が絶対にないとは言い切れない。その時私は可愛い言葉を口にするだろうか?
なんで、この人が私の旦那になって、毎日共に過ごしているんだろう…?
一番の不思議は、私の好みではないことだ。好みではないが嫌なわけではない。ジーンのことは分からないことだらけ。ジーンだって私のことをよく分かっているとは思えない。要望は山ほどあるし、うざったい時もあるけど、それはきっとお互いさまで。
でも、どうやら、自分の一部になりつつあるようだ。少しづつ。声なのか、ぬくもり、気配なのか…、いづれにしても。ひとつ。
たぶん、それでいい気がする。
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