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8割くらいの信頼

いつもトコトンの果てに気づくのだ。
私の悪い癖である。
ものすごく警戒しているくせに、いざ、ひとことふたこと話し出すとスッと受け入れてしまう。
基本的に、(この人、人付き合い苦手そう…)な人には、こちらが何とかオープンな雰囲気を出してあげなければと一生懸命話す。
結果、異常に好かれてしまう。
イケイケの人には、とりあえず話を聞いてみる。そして、合いの手を入れてみる。だんだん年をとって、賛同できないことには無理くりの合いの手は入れない…くらいはできるようになったが…。
結果、こちらはほとんど嘘のない付き合いになる。相手を見て、警戒しているようで、実は相手に見られて、警戒されて…成れの果てはイイように利用されることになる。
いる。

この人、こういう人だったか。

そう気づくのはいつもトコトンの果てである。
落ち込んで凹んでうな垂れる。
独身の時は独り静かにそうしていたが、結婚してからは呑気な主人がいる。
「また騙された…。」
「あの人、こういう人だったわ。」
「いい人だと思ったのにな…。」
こんなようなことをボソボソ言ってると必ず言われる。
「勝手に思ってただけでしょ。相手は何も変わってない。最初からそういう人だったんだ。」
そうですね。そうなんですよ。主人に言われるとちょっとばかしイラっとするのだが、そうなんですよ。相手は、相手の性質は変わることはない。それを私が見誤っただけなのだ。私は結構見る目があるなんて自分で思っていたけれど、『全くその素質はない』と、ペタッとキョンシーの札のようにデコに貼られた気分である。
(キョンシーって今の人分かるかしら?『霊幻道士』。一時期、チビッ子はみんなキョンシーの真似をして両手を前に突き出してピョンピョン跳ねてました。)
後でじっくり考えたり思い出してみたら、顔つきとかセリフとかその片鱗は垣間見えていたのに、気づかない私は阿呆である。

誰かが言っていた。
知人に紹介された人が微妙なら、その知人も微妙。
これはとても腑に落ちた。その人を見て気づかなくとも、その人のまわりを見てれば分かる時がある。(なんでこんな空気の人と仲がいいの?)そう疑問に思うことがある。その人にもその要素があるからだ。
みんな上手に隠してる。どうしたって人にはいい風に見えたいという思いがある。だから、なかなか相手の本質に辿りつくことが出来ない。
ドーンと真っ正直に生きてる人は素敵だ。つい信用してしまいな私だが、
そういう風に見せておきながら、カッコいいだろうと言わんばかりにわがまま放題な人もいる。真っ正直なのと横柄なのを勘違いしている人だ。
人って言うのは厄介だ。
お願いだから普通に分かりやすくしてほしい。というと…普通って何よってなる。
それもこれも、自分じゃない誰かの事ならよく見えるのに…。自分のこととなると途端に見えなくなっている。

人を信じすぎるのは危険。かと言って信じすぎないのは人として哀しい。
それで結局、人を信じるのは8割くらいにしておこう…なんて考える。
違和感を感じる人からはそっと離れる。
だから、人付き合いは希薄になる。
いいのか?自分。それでいいのか?
でも、そういうスタンスでいると淘汰される。自分に合う人たちが残っていく。大事な人はそう多くいらない。
言葉は適切ではないかもしれないれど、ここ数年で人が断捨離された。自分でバッサバッサと無常に切り捨てたと言う事ではない。そんなことできるほど私の心は強靭でも、狂人でもない。ちょっと心持を切り替えただけで、勝手にグルグルグルっと舞台の幕が変わるように景色が変わった。
驚いたし悲しかったし傷ついた。もしかしたら私が誰かを傷つけたかもしれない。でも、その後の気持ちはスッキリとしていた。
また、新しい出会いがあると思う。
その時私は警戒心なく、最初から8割くらいの信頼を持って接しようと思う。上手く実行できるかは分からんが。

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