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ジーンとドライブ おちょけスイッチ

ジーンは結婚当初、とても窮屈な人間だった。
自分が考える最適なやり方や考え方がドーンとあって、それを人にも強要させるようなところがあった。それはジーンにとっては嫌がらせと言うより、親切心からだったのだろう。でも、私にとっては窮屈で仕方が無かったし、そもそも、ジーンのやり方、考え方がベストだとは思えなかった。私は私であり、ジーンではない。私には私がやりやすいやり方考え方があるからだ。人にはそれぞれのやり方、考え方があってよい。

最近、そう言ったことで喧嘩になることがあまりない。相変わらず、ジーンは私からすると窮屈な人間だし、時々、こーせい、あーせいということもある。特にミッション車の運転をしている時にはうるさい。だったら、自分が運転すればいいものを私にさせる時があるのは、私の運転がどうだかチェックしているに違いない。とてもやらしい男だ。
人の性質なんてそうガラリと変わるはずがない。変わったことがあるとすればなんだろう?と考えた。
聞いてみたわけではないから分からないけれど、たぶん、気持ちの度合いと、それ故の言い方の変化…ではないかと思う。
以前ほど、どうしてもこうしても自分を押し付けなくても、「まあいいか…」と思っているようだ。言わば、「こりゃ、無理だ…。」と諦めたのかもしれない。
また、私の方からすると、全否定というスタンスでなくちょっと受け入れる扉を広げているかもしれない。イイトコどりでいいと思ったことは取り入れる。カチンと来た時には「カッチーン!!」と声に出して言う。
以前は頭ごなしに指摘された怒りから、何もかも全否定だったし、心の中で毒を吐いていた。心の中で毒を吐いたところで、スッキリするどころか毒が体中に回ってしまっていた。お互い、悪循環の渦の中だった。

そうやって小競り合いを重ねて、冷静になった時、お互いに考えるんだろう。「実はあのアイデアはいい。」とか、「と、言うことは、こうすればいいんじゃないのか?」とか、実はお互いの主張を認めていたり、折り合いのつく方法を考えていたりするのだ。それを素直に言えないでいるのが常だ。

つくづく、夫婦とは難儀で不思議である。夫婦は前世では敵同士だったとか聞いたことがあるけれど本当だろうか。敵、味方。意外とそれを決めているのは自分だったりするのではないかしら。敵だと思っていたら味方で、味方に裏切られることもある。
本当に折り合わない相手も確かにいるが、意思疎通が出来ていないで生じることもある。後は、大方、相手の立場になって考えられていない。もし、自分じゃなくてあっち側だったら?その答えは間違うこともあるけれど、ひとまず想像するだけでも価値はある。もしかしたら、あちら側に立った途端、同じことをするかもしれない。それはちょっとした思いやりでもある。

夫婦の話だけれど、これってどんどん輪が広がっても同じことが言えそうだ。「相手の立場?そんなもん、分かりたくもないわい!」と言ってしまえば全ては終わる。もう手遅れな輪があちこちである。学校とか会社とか町とか国。なんだかなぁって思う。

怒りのような負の感情に襲われそうになる時、「おちょけのスイッチ」を押す。おちょけの中に自分の言いたいことをしっかり盛り込んで言うことにしている。自分的にはスッキリするし、ジーンだって堪りかねて笑っている。私も笑う。笑いながら、言いたいことは抜かりなく言う。そしたら、ジーンも笑いながら言いたいことを抜かりなく言う。で、笑う。
不思議なことに、喧嘩にならずに済む。

伝える言葉は大切。どの言葉をチョイスするかも大切。そして、そのチョイスした言葉をどう吐くかは最も大切。ちょっとしたことだけれど難しい。
笑いや笑顔はそれを少し容易く後押ししてくれるアイテムだ。
ただし、中には笑いの質を間違える人や、笑いが通じないカチコチな人もいるからそれは困る。

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