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幸せの象徴

現実の厳しさと、幸せの象徴とはいくらかずれがあるのだろうか?母は相変わらず、病と介護と日々の生活で壊れそうだ。

近頃、ベランダに鳩がやってきて困っている。鳩は夫婦仲が良く、いつもつがいでやってくる。巣作りをし、卵を産むためだ。5月から7月頃まで続くらしい。巣作りをされると衛生的にもとても困るので、追い払う。鳩は法律で守られていて(野鳥全般だろうか…)むやみに危害を加えてはならないとされいる。なので、兎に角近づかないように、工夫をする。それでも人に慣れた都会の鳩は免疫がついている。キラキラヒラヒラのテープも、強力な磁石も、蛇の形をしたおもちゃも、全く意味をなさない。結局、ベランダにいるのを見つけるたびに、サッシを開け閉めして脅かすしかない。家にいる日だけ、その場しのぎの鳩対策だ。

鳩に困っている…と人にボヤいていると、大体の人は大変だねとか、あれは?これは?と対策を紹介してくれるのだが、ひとり、全く違った視点からみたお言葉を投げかけてきた人がいた。

「何でも、家や人に生き物が寄ってくるのはイイらいいよ。幸せの証。」

はぁ。確かに、鳩は幸せの象徴とされているけれど。やはり、色々と問題が多いから嫌だな…と苦笑いするしかなかった。

家は山手の高台にある古いマンションの三階で、ベランダは南東を向いている。時々チュンチュンと鳥のなく声がやけに聞こえると思うと、ベランダの手摺に雀がいて、亀の小雪に向かって歌っている。それも三羽が並んでだ。

ある時は、菫の葉が一枚も無くなっているのに気づき、おかしいと思っていると、グロテスクだけれど自然のものとは信じがたい、綺麗なさなぎがぶら下がっていたこともあった。菫にしか卵を産まない蝶だという。

椿の花が咲くころにはメジロのつがいが毎日蜜を目当てにやって来ていたし、ヒヨドリも羽休めに来ていた。

人から言われて思い起こせば、いろんな子達が遊びに来ているじゃないの。生き物が寄ってくるという観点から見れば、意外と家って幸せそうじゃないか?と嬉しくなった。そうは言っても、鳩とかカメムシとか宗教の勧誘とかも来るし、幸と不幸が混在している感じかな。私など、まだまだということか。

母とは時々、徐々に進行する病を食い止めるべく、ウォーキングに出かける。歩いて行けるところに植物公園があるのだ。山と一体化しているその公園には、ちょっとしたハイキングコースもいくつかある。そこの初級コースを歩くのだ。30分ほどゆっくりと歩き、季節ごとに変わる植物の中のベンチで休憩して終わる。

ベンチに座って疲れを癒していると、雀が手の届くほど近くまでちょんちょんと跳ねてくる。ん?もしやと顔をまじまじと見ると、帽子に蝶々がとまっているではないですか。羽をゆっくりと動かしながらとまっている。母は喜ぶどころか、汗の臭いで寄ってくるんだわ…年取ると臭いから嫌になるわ…と落ち込んでいる。幸せの象徴の話をしても、あまり信じた様子はなかった。それはそうだろう。現実が伴っていないのだから。随分長くとまっていたが、気づいた時には蝶はどこかへ飛んでしまっていた。帰り道、信号待ちをしている母の後ろ姿を何気に見ていると、今度はトンボがとまっていた。いや。あなたすごい引き寄せ力かもしれませんよ。

本人は全く意識していないが、幸せの象徴?現実はとても険しく厳しい毎日なのに、幸せの象徴ってチグハグだなと思う。同じように日々も幸せならいいのにともどかしくなってしまう。けれど、人から幸せだと励まされるより、虫や鳥たちに励まされる方が幾分、真実味があって嬉しくなる。嫌な気はしない。まずは、素直に喜ぼう。



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