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水曜日のひだまり 侍

夏休みの宿題に先生が出す課題に、奉書巻紙にストーリー性のある絵を描く…というものがあった。私も先生も提出されたその課題を見るのを楽しみしていた。奉書巻紙は、それをクルクルとほどき見る行為が更にワクワクさせた。
先生は若い才能に嫉妬することはもう、とうの昔からないようだった。
「これ、おもしろいわ。」
そう言って差し出したのは、いつも少し斜交いに教室の端にいる学生の作品だった。ちょっと尖ったようにも見えるが真面目だった。
どれどれ…拝見と巻紙を広げていく。
一人の侍が立っている。そこから、巻紙の最後まで怒涛の百人斬りが始まった。圧倒された。先生と二人で本当に百人か?と数えたが、キッチリ百人斬られていた。華麗な刀さばきが巻紙の上で繰り広げられて、侍が駆け抜けていった。時代劇好きの私としては、三年間に見た巻紙の中で一番だった。もはや学生の彼が侍にさえ見えた。
「この子、大物になるな。」
と言って笑った。そして、何度も何度も、「へー。」だの「すごいな。」だの「わぁ、二人いっぺんや。」だのと言って感心した。
こんなに屈託なく人のことを褒められるって、気持ちがいいことだと思う。あの時、私も同じように心底、すごいと感心したけど、今は同じような場面があったら、嫉妬するかもしれない。若さや、才能、恵まれた環境に。そう考えると、私はまだ満たされていないのだと思う。まだ、モヤモヤとしたものを発散できずにいるのだ。先生の年に追いついたら、私もまた心底人を褒められるだろうか…。いや、先生と同じようにはなれまい。見てきたものがまるで違う。私はまだ、自分を明らめる必要がある。

採点が終わって、コーヒを入れた。
「あーあ。疲れた。ははは。」
と言って髪の少ない頭を撫でた。
「君、アメリカ好きか?」
と不意に尋ねた。私は、好きですと答え、嫌いではないですと付け足した。先生の表情を見てのことだった。若かった私はアメリカに限らず、外国に憧れていた。日本以外の国や文化に興味があったのだ。だが、先生の表情はそれを歓迎するようなものではなかった。だから小賢しく付け足したのだ。
「僕はな。嫌いや。」
ハッキリとそう言った。そして、戦争の時自分が多感な少年であったことを話し出した。空襲を受け、足の踏み場もないほどの人が倒れている神戸の駅を、何とも言えない焦げたようなにおいと共に忘れられないと言った。
この場にいる先生しか知らないが、私が知らない先生も同じくこの場に存在していた。二十代の若い私は勿論、今の私の史上最低な風景など、先生からすれば普通の景色なのだ。
自分史上最低な風景を生んでしまったアメリカを先生が好きになれるはずもない。頭では理解できても、経験のない私には共感できない。それを察した様に先生も付け足した。
「お酒とチョコレートは美味しいけどな。」
まさか、お酒とチョコレートで戦争を帳消しになどできないが、そのぶつけどころのない強い思いは少年のまま先生の中に残っている。それが絵を描く力になっているのだと思った。

百人斬りで斬られた日本の人を想ったのか、百人で足りないアメリカを斬っていく正義を想ったのか。先生はまた奉書巻紙を広げた。


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